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一般財団法人「刀剣ワールド財団」(東建コーポレーション)は、刀剣以外に浮世絵も多数所蔵。特に、刀や甲冑の描かれた浮世絵に特化してコレクションしており、浮世絵を通じた刀剣文化の普及・促進を目指しています。「刀剣ワールド/浮世絵」では、その浮世絵を写真や動画でご紹介します。
浮世絵とは、江戸時代に生まれた絵画の一種のこと。独特な構図や画法で描かれた浮世絵は、刀と同様、美術品としての価値が高く、ヨーロッパの画家達へも影響を及ぼしました。浮世絵の画題は、身近な人物や風景、役者など当時の社会を描いたものから、源平合戦や戦国時代の三英傑などを描いた歴史画まで多様です。武者絵(刀剣・合戦・侍・武将)は、刀を振りかざしたり、日本刀を携えたりしている有名武将の姿が眺められるのが特徴です。なかには「蜻蛉切」や「童子切安綱」など、有名刀剣が描かれている作品もあります。また、役者浮世絵(歌舞伎絵)にも日本刀が描かれており、刀剣・浮世絵・歌舞伎の3つはそれぞれ密接した文化であると言えます。
そんな浮世絵にまつわる基礎知識や歴史をはじめ、今日まで名を残してきた喜多川歌麿や歌川広重、葛飾北斎など、日本を代表する有名な浮世絵師について詳しく解説します。扱っている浮世絵は、武者絵(刀剣・合戦・侍・武将)や東海道五十三次の浮世絵、明治天皇や役者浮世絵(歌舞伎絵)、戦争絵など多数。「刀剣ワールド/浮世絵」の世界をお楽しみ下さい。
浮世絵の手法から、浮世絵と錦絵の違いなど、浮世絵の制作方法についてご紹介します。
浮世絵は、大別すると「木版画」と「肉筆画」(絵画)に分けることが可能です。木版画は一般的な浮世絵で、絵師が描いた下絵をもとに彫師が版木に彫り、最後に摺師が摺ります。こちらは、大量生産が可能なので庶民でも手の届く価格で購入することができました。
それに対し、肉筆画は印刷でも版画でもなく、直接筆で紙に描かれた浮世絵のことを表します。1点物ですので、まったく同じ浮世絵は2つと存在しません。そのため価格も高価。裕福な人は、浮世絵師に注文して肉筆画を制作して貰っていました。多くの人気浮世絵師は木版画、肉筆画両方制作しています。なお、肉筆画の方が木版画より先に制作が始まりました。
所蔵刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕
木版画の種類は、非常に多彩です。大まかには製本化の有無で分けることができ、製本化しない作品を「版画」、製本化した作品を「版本」(はんぽん)と呼びます。版画の種類として挙げられるのは単発作品の「一枚絵」、テーマに沿った連作の「組物」、今で言うチラシに相当する「摺物」や、絵入りの新聞「新聞錦絵」、さらに形状での分類として縦に細長な「柱絵」、団扇(うちわ)の形をした「団扇絵」(うちわえ)など。
版本は、もっと種類が多いのですが、分かりやすく現代のコンテンツで分類すると、「画集」、「マンガ」、「挿絵入りの小説」、「その他」の4つです。
画集に分類されるのは、一般的な画集である「絵本」、習作(しゅうさく)として利用できる構図などが掲載された「絵手本」(えでほん)、現代で言えばファッションカタログに相当する「雛形本」(ひながたぼん)、狂歌が浮世絵の中に組み込まれている現在の詩集に近い「絵入狂歌本」の4種類。
マンガのカテゴリは、現代の絵本にあたる「赤本」、浄瑠璃や歌舞伎などの題材をベースに書いた「黒本」と「青本」、ウィット(とんち)に富んだ大人向けの内容の「黄表紙」(きびょうし)、黄表紙の一部が長編化してできた「合巻」(ごうかん)。
挿絵入りの小説と呼べるのは、フィクション小説の「読本」(よみほん)、風俗関係に特化した「洒落本」(しゃれぼん)、庶民の生活にスポットライトを当てた「滑稽本」(こっけいぼん)、現在で言うところの恋愛小説である「人情本」(にんじょうぼん)、そしてジョーク集と言える「噺本」(はなしぼん)です。
その他には、浄瑠璃の筋書きが絵入りで書かれている「絵入浄瑠璃本」、絵入浄瑠璃本の歌舞伎版である「絵入狂言本」、現代で言えば映画のパンフレットに近い、狂言のシーンと俳優・役名が記載された「絵本番付」が存在します。
肉筆画は、版画に比べると種類は多くありません。形状では絵巻物である「巻物」、蛇腹折の本である「折本」、掛け軸の形状の「掛幅」(かけふく)があり、目的別では祭り用の「幟」(のぼり)、現在の絵馬と形状は異なるものの、神社に奉納するという目的は同じ「絵馬」(えま)、扇に貼る「扇面」(おうぎえ)、看板に貼る「看板」などが存在します。
錦絵は、浮世絵の種類のひとつです。浮世絵と言う大きなカテゴリのなかに錦絵があります。浮世絵と錦絵の違いですが、浮世絵は、墨1色で摺られた「墨摺絵」(すみずりえ)や紅色を加えた「紅摺絵」(べにずりえ)であるのに対し、錦絵は「多色摺木版画」のことで、カラフルかつ華やかです。
浮世絵の歴史は長く、多くの浮世絵師が誕生しました。浮世絵最盛期頃の有名な浮世絵師や、その作風などを解説します。
浮世絵の祖は「岩佐又兵衛」(いわさまたべえ)と言われています。当時は、木版画ではなく肉筆画で浮世絵が制作されていました。
木版画の浮世絵を確立したのは17世紀後半の「菱川師宣」(ひしかわもろのぶ)です。菱川師宣は、肉筆画を手がけると共に、木版画を重視しました。木版画は大量生産できるので1枚の価格を安くすることができ、庶民も購入して楽しめるようになったことから、浮世絵は大衆文化として爆発的に広がったのです。そのため、この頃から浮世絵師が職業として成り立つようになりました。
その後、墨摺絵に筆で色を加える紅絵、色板を作り、印刷で2~3種類の色を加える紅摺絵を経て、多色摺木版画である錦絵が誕生します。錦絵の誕生で色彩豊かな浮世絵を制作できるようになり、人物画が庶民の間で人気となりました。錦絵の大成に貢献したのは「鈴木春信」(すずきはるのぶ)です。
鈴木春信の没後、人気を博したのは、「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)と「東洲斎写楽」(とうしゅうさいしゃらく)。それぞれ、「美人画」と「役者絵」を得意としていましたが、ふたりの作風は異なっていました。東洲斎写楽は、デフォルメを用いた分かりやすい役者絵を作成したのに対し、喜多川歌麿は女性の内面を顔の表情で表現する美人画を制作しています。この頃が、江戸時代における浮世絵の最盛期です。
葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」
1804~1830年(文化元年~文政13年)の化政文化の頃、人物画に代わって風景画が人気となり、その風景画を観た庶民が、絵に描かれた場所へ旅行するブームが起こりました。
この当時活躍した浮世絵師は、「葛飾北斎」(かつしかほくさい)や「歌川広重」(うたがわひろしげ)です。
江戸時代が終わると、西洋の写真、銅版画(どうばんが)などの新しい技術が日本に入ってきて、浮世絵は衰退していきました。
大正時代にはより高い芸術性を目指した「新版画運動」が起き、浮世絵は芸術作品として制作され始めたのです。
浮世絵は大衆文化として大流行し、美人画や「風物絵」など様々な種類が登場しました。代表的な浮世絵とその作風などを解説します。
版本の挿絵は、文章の脇に描かれている浮世絵のこと。菱川師宣以前の浮世絵は、多くが挿絵でした。一枚摺絵は菱川師宣によって確立された、1枚の紙に刷られた浮世絵です。浮世絵と言えば、一枚摺絵が代表的と言えます。色を加えた紅絵なども一枚摺絵です。肉筆画は、筆を使って直接紙に浮世絵を描いていきます。
浮世絵の題材でジャンル分けすると、人物を描いた役者絵や美人画が取り分け高い評判を呼びました。男性に人気のあった美人画とは、吉原の遊女や茶屋の娘などを描いた浮世絵のこと。美人画の代表的な浮世絵師と作品は、喜多川歌麿の寛政三美人や、「歌川国貞」(うたがわくにさだ)の「当世美人合 江戸芸者」、鈴木春信の「柳家見立三美人」です。
一方、女性に人気があったのが役者絵。歌舞伎役者を描いた浮世絵のことで、「歌舞伎絵」とも言います。代表的な役者絵の浮世絵師と作品は、東洲斎写楽の三世大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんせいおおたにおにじのやっこえどべえ)、「歌川国芳」(うたがわくによし)の「七津意呂婆東都布地尽 浦橋八十之助」(ななついろはとうとふじづくし うらはしやそのすけ)です。
人物画には、他にも相撲取りを描いた「相撲絵」、歴史上や伝説の人物を描いた「武者絵」などがあります。
歌川広重「東海道五拾三次之内 吉田 豊川橋」
風物絵も人気が高い浮世絵のジャンルでした。
江戸時代は現代とは違い、写真も映像もありません。そのため、見たことがない風景などは話を聞き想像するしかありませんでした。
しかし風物絵では、見たことがない景色や建物の情報を視覚から得ることができるのです。
これは当時としては素晴らしいことでした。
代表的な風物絵の浮世絵師と作品は、葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(ふがくさんじゅうろっけい がいふうかいせい)、歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」(めいしょえどひゃっけい かめいどうめやしき)です。
浮世絵の題材によるジャンルはたいへん多く、すべてをご紹介することはできないので、これまで紹介した浮世絵の他に3ジャンルをご紹介します。
「花鳥画」(かちょうが)は、鳥や花を描いた作品で、俳諧や狂歌の挿絵によく使われ、壁や屏風に貼る人もいました。代表的な浮世絵師は歌川広重で、代表的作品は「桜につなぎ猿」や「鯛に山椒」などがあります。
「春画」(しゅんが)は、性的な描写を描いた浮世絵で、錦絵が登場すると一層広まっていきました。有名な浮世絵師も描いています。取り締まりの対象になることが多かったので、作者・絵師・版元が分からないようにするなどの対策が採られました。葛飾北斎の「蛸と海女」などが有名です。
「戯画」(ぎが)は、漫画のように面白く描いた浮世絵で、世相を皮肉っていたり、動物を擬人化したりしています。戯画を描くには笑いやユーモアのセンスが必要。代表的な浮世絵師は、歌川国芳「猫の当て字 なまず」などです。
浮世絵はひとりで制作する時代から、分業制へと変化していきます。浮世絵ができ上がるまでの経緯など、職人や道具について解説します。
絵師は基本として、墨と筆と紙で下絵を制作します。木版浮世絵が制作されるようになると、使用する材料が増えました。
彫師は、山桜の木の版木に小刀やノミで彫り、摺師は馬連(ばれん)や刷毛(はけ)、顔料を使って摺ります。顔料は赤、青、黄の三原色を使い、混ぜ合わせて様々な色を表現。
顔料の材料は、赤は紅花・丹砂(たんさ:水銀とイオウからなる鉱物)・銀朱(ぎんしゅ:水銀とイオウを混ぜて焼いた物)、青はツユクサ(青花)・藍・ベロ藍、黄はウコン・雌黄(しおう:オトギリソウ科の植物から採れる樹脂)などを使っていました。
18世紀中期、紅摺絵が制作されるようになると、浮世絵の制作は分業制が定着していきます。絵師、彫師、摺師、版元が分業してひとつの浮世絵作品を制作。版本の場合はさらに、作者と筆耕(ひっこう:報酬を得て清書すること)と製本の過程が加わりました。
絵師は入念な打ち合わせを繰り返し、版元の依頼に応じて下絵を描きます。彫師は、絵師によって描かれた下絵を正確に、完成後の実像もイメージしながら彫っていく役割です。1枚の浮世絵作品を制作する際、通常は彫師が複数人で分担しました。髪の毛を彫るなどの細かい作業や、顔の表情など作品のポイントになる箇所は熟練した職人が彫り、着物の柄や背景などは若い職人が彫ったと言います。
版木の制作が終わると、最後は摺師の仕事です。ただ摺れば良いということではありません。力の入れ具合、顔料の量や場所、顔料を作る際の水分量など知識・経験・技術が必要になる仕事です。
版元は、企画から宣伝、販売まで担う、現代の出版社にあたる存在と言えます。どのような浮世絵が人々から好まれ売れそうなのかを考えると共に、これから人気が出そうな浮世絵も予測しなくてはなりません。また、絵師を見出し、売り方などのアイディアを考えるのも版元の役目なのです。
日本国内で浮世絵の価値が、どう変化してきたのか、また、日本の浮世絵が海外の絵師に与えた影響などを作品を交えてご紹介します。
人気によっても浮世絵の価格は異なってきますが、当時の木版浮世絵は庶民でも購入できる価格で売られており、現在の貨幣価値に直すと300~400円ほど。サイズが小さい浮世絵や人気がない浮世絵は100~200円程度でした。
現在の価格は、葛飾北斎や歌川広重など有名な浮世絵師の作品は、状態が良い作品なら数百万円、状態が悪くても数万円はします。無名の浮世絵師が制作した浮世絵の場合は、数千円で購入できる作品もあるとのことです。
肉筆画は1点物なので価格に基準はなく、有名浮世絵師の作品であれば数千万円以上で取引されています。
日本国内より海外での評価が高く、浮世絵の大部分は海外に流出。日本では、古くなった浮世絵は割れ物を包むときに使用したりしていました。当時の日本で浮世絵は身近な存在だったため、その価値を感じることができず粗雑に扱ってしまったのです。
ヨーロッパの人達からすると、これほどの芸術作品が庶民の間で広がっているのは信じられないことでした。素晴らしい芸術作品が大衆文化にまでなったのは、世界的に見ても例のないことだったのです。開国後、浮世絵が海外に輸出できるようになると、海外では浮世絵は人気となり、日本で販売されていた価格の何倍もの価格で取引されるようになりました。
現在、ヨーロッパの美術館には数多くの浮世絵が収蔵されており、個人のコレクターも相当な数の浮世絵を収集しています。
当時、ヨーロッパの画家達は浮世絵を高く評価しました。浮世絵の繊細な色彩、精工な技術は当時のヨーロッパの人達を驚かせたと言われています。
特に、印象派の画家達は浮世絵に影響され、自分の作品に浮世絵の特徴を取り入れるほどでした。
例えば、「クロード・モネ」が着物姿の夫人を描いた「ラ・ジャポネーズ」などが有名です。
また、ポスト印象派を代表するオランダの画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」も、自作の「タンギー爺さん」の背景に浮世絵を描いています。
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浮世絵は江戸時代に成立しました。浮世絵と言えば、歌舞伎役者を描いた「役者絵」、男性に人気のあった「美人画」、武将や合戦の様子を表した「武者絵」など、世俗の様子を表した絵が思い浮かびます。しかし、世俗とかかわりが少ない天皇家(皇族)の浮世絵も描かれていました。「皇室・皇族浮世絵」では、皇族を描いた浮世絵に限定してご紹介。数々の有名な浮世絵師による、後醍醐天皇や中大兄皇子などの皇室・皇族浮世絵がご覧頂けます。皇室・皇族浮世絵の詳細ページには、各浮世絵にまつわるエピソードや描いた浮世絵師についての解説も掲載。さらに拡大できる写真・画像もあり、すみずみまで皇室・皇族浮世絵が堪能できます。
浮世絵師・歌川広重(うたがわひろしげ)の作品の中でも人気の高い「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)の浮世絵がご覧頂けます。東海道とは、江戸時代の首都であった江戸と京都を結ぶ重要な街道で、徳川家康の指示によって作られたものです。本州の東海岸近くを通っていたことから「東海道」の名が付き、旅行者のための食事処や宿泊所などが営まれた宿場が街道に沿って置かれました。
本武将浮世絵の主題「瓢軍談五十四場」(ひょうぐんだんごじゅうよば)とは、「千成瓢箪」を馬印とした「豊臣秀吉」(木下藤吉郎、羽柴秀吉とも)の出世物語を描いた、一連の作品です。瓢軍談五十四場は、その名の通り54枚の場面で構成されており、矢作橋での「蜂須賀小六」(はちすかころく)との出会いから、小田原征伐における、小田原城の落城までが描かれました。本絵図には、豊臣秀吉の他に、「織田信長」や「明智光秀」など、豊臣秀吉と深くかかわった戦国武将たちの姿も登場します。
葛飾北斎と言えば、江戸時代を代表する浮世絵師。日本国内のみならず世界でも高評価を受け、「ジャポニズム」という現象まで巻き起こしました。そんな天才と呼ばれた葛飾北斎について、その生涯や作品についてなど、様々なエピソードをご紹介します。
「菱川師宣」(ひしかわもろのぶ)は、それまで本の挿絵でしかなかった浮世絵版画をひとつの作品と捉え直し、「浮世絵」と言うジャンルを確立した人物です。この功績から「浮世絵の祖」と呼ばれることとなった菱川師宣は、どんな時代に生き、どのような生涯を送ったのでしょうか。菱川師宣の作品やエピソードとともに解説します。
美人画と言えば「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)。国内での評価はもとより、海外では「葛飾北斎」(かつしかほくさい)と並び著名な浮世絵師です。しかし、その芸術活動は幕府の禁制との闘いでもありました。そんな喜多川歌麿の波乱万丈の人生や生み出され続けた数々の美人画をご紹介します。
幕末の人気浮世絵師であった「歌川国芳」。「武者絵の国芳」と称されるほど人気であった武者絵に加え、多くの作品に見られるその発想力やユーモアは江戸時代だけでなく、現在の人々をも魅了しています。ここでは、歌川国芳の生涯や作品、エピソードをご紹介します。
「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川」という風刺の歌をご存じでしょうか。「織田信長」や「豊臣(羽柴)秀吉」の尽力により成し遂げられた天下泰平の恩恵を「徳川家康」が独り占めしているという有名な風刺です。
これを徳川の治世下である江戸時代に浮世絵にした驚きの浮世絵師がいます。その名も「歌川芳虎」(うたがわよしとら)。「歌川国芳」(うたがわくによし)の門下にして幕末の人気浮世絵師でした。幕末とは言え封建社会の江戸時代に、これほど痛烈な風刺を芸術で行なった歌川芳虎。
その波乱の生涯や作品をご紹介します。
江戸時代を代表する浮世絵師が「葛飾北斎」や「歌川広重」だとすれば、明治時代を代表する浮世絵師が「月岡芳年」(つきおかよしとし)。歌舞伎の残酷シーンや「戊辰戦争」の戦場等を題材にした無残絵から「血まみれ芳年」の2つ名で知られます。
月岡芳年は、その2つ名の陰で、ジャンルを問わず幅広い題材をテーマにした多作の絵師として、幕末から明治期の浮世絵界をリードしました。そんな月岡芳年の生涯や数々の傑作をご紹介します。
「浮世絵」と言えば、浮世絵師「葛飾北斎」(かつしかほくさい)が描いた風景画「富嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)や、浮世絵師「歌川広重」(うたがわひろしげ)の「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)などが世界的にも有名ですが、浮世絵にもいろいろなジャンルがあります。
ここで取り上げるのは、浮世絵師が描いた武将や合戦にまつわる浮世絵「武者絵」です。浮世絵ならではの多彩な色使いや大胆な構図によって合戦の迫力が見事に表現されています。浮世絵師が描いた武者絵は、江戸時代の人々にはどのように受け入れられていたのでしょうか。当時の評判と、武将や合戦を題材に描いた著名な浮世絵師と作品についてご紹介します。
浮世絵は江戸時代に成立した絵画の一種です。人物を描いた美人画や役者絵、風景や建物などを描いた風景画や名所絵などの種類がある浮世絵は、江戸時代当時、大衆文化として大流行していました。「浮世絵のシリーズ作品」では、風景や名所が表現された連作「東海道五十三次」、「富嶽三十六景」、「名所江戸百景」をご紹介。また、「東海道五十三次」、「名所江戸百景」の作者・歌川広重(うたがわひろしげ)、「富嶽三十六景」の作者・葛飾北斎(かつしかほくさい)についても解説しています。歌川広重、葛飾北斎は共に、ゴッホをはじめ海外の芸術家にも影響を与えたと言われる有名な浮世絵師。「浮世絵シリーズ作品の魅力を知りたい」、「葛飾北斎について詳しくなりたい」という方には、特にオススメの内容です。
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平安時代末期の1180~1185年(治承4年~元暦2年)に起こった「治承・寿永の乱」は、平氏政権に対して源氏を中心とする反対勢力が決起した内乱を指し、一般的には「源平合戦」として知られています。最終的には、「壇ノ浦の戦い」での敗北により平氏政権が崩壊。「源頼朝」が率いる源氏と坂東武士(関東生まれの武士)が構成する鎌倉幕府(関東政権)が樹立しました。1199年(建久10年)に源頼朝の跡を継いで「鎌倉殿」(鎌倉幕府の将軍)に就任した「源頼家」は当時まだ18歳。「北条時政」(ほうじょうときまさ)やその子「北条義時」(ほうじょうよしとき)をはじめとする幕府の有力者達は、若い鎌倉殿を補佐するために「13人の合議制」を発足させます。「刀剣ワールド財団」では、源平合戦の様子や13人の合議制に連なる武士達を描いた「浮世絵」を数多く所蔵。その優れた描写を味わいながら歴史をひもといていきましょう。
近日公開
皆さんは、浮世絵を実際に観たことがありますか。浮世絵を展示している全国の博物館・美術館の施設情報をはじめ、施設の写真や動画、収蔵作品などをご紹介します。
「刀剣ワールド/浮世絵」の主要キーワードを相関図でご紹介致します。
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