皇族浮世絵

うたがわとよのぶ さく「おおとうのみやよしのおちず」 歌川豊宣 作「大塔宮吉野落図」

大塔宮吉野落図

本合戦浮世絵に描かれたのは、1331年(元弘元年)に「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)が鎌倉幕府倒幕を企てて始めた「元弘の乱」(げんこうのらん)の1場面です。

1333年(元弘3年)2月、後醍醐天皇の皇子「護良親王」(もりよし/もりながしんのう:「大塔宮」[おおとうのみや])は、吉野(現在の奈良県南部)の「金峰山寺蔵王堂」(きんぷせんじざおうどう)に立てこもり鎌倉幕府軍と戦いますが、敵の猛攻にさらされ全身に7本の矢を受けてしまいます。

これが最後と覚悟を決めた護良親王は、蔵王堂前の広場で酒宴を開きました。本図右手側の、甲冑(鎧兜)を身に付け畳に座す護良親王の前に家臣の「小寺相模」(こでらのさがみ)が進み出て、太刀(たち)を振りかざして舞い、謡(うたい:能楽に合わせる歌謡)を披露。

そこへ本図左手側から、忠臣の「村上義光」(むらかみよしてる)が、全身に矢を16本受けた満身創痍の状態で駆け込んできます。村上義光は、護良親王に逃げ延びるよう進言すると、自らが親王の鎧をまとって身代わりとなり、敵の前で自害して果てたのでした。

本合戦浮世絵の制作者は、明治時代の浮世絵師「歌川豊宣」(うたがわとよのぶ)です。歌川豊宣は、武者絵、役者絵、和歌集の挿絵などを得意としましたが、28歳の若さで早世しています。

大塔宮吉野落図の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 歌川豊宣 浮世絵の題材 元弘の乱

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