皇族浮世絵

こばやしきよちか さく「しょうがくにほんりゃくし ごだいごてんのう なわながしげ」 小林清親 作「小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重」

小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重

本武将浮世絵において「後醍醐天皇」(ごだいごてんのう)が負ぶさっているのは、南北朝時代初期に活躍した伯耆国(ほうきのくに:現在の鳥取県西半部)の武将「名和長重」(なわながしげ)。

鎌倉幕府討伐を企てた後醍醐天皇は、1324年(元亨4年/正中元年)の「正中の変」(しょうちゅうのへん)、1331年(元弘元年/元徳3年)の「元弘の乱」(げんこうのらん:「元弘の変」とも)という2度に亘り反乱を起こしますが、いずれも失敗。1332年(元弘2年/正慶元年)、隠岐島(おきのしま:現在の島根県隠岐諸島)への流罪に処されていました。

詞書(ことばがき:絵などに添えられる説明文)のタイトルにある「名和湊」(なわのみなと)とは、現在の鳥取県西伯郡大山町(さいはくぐんだいせんちょう)に位置する「御来屋港」(みくりやこう)のこと。

後醍醐天皇は、幽閉された翌年に隠岐から脱出し、名和長重の兄「名和長年」(なわながとし)が領有していた名和湊へと漂着。本武将浮世絵は、名和長年から後醍醐天皇をお迎えするように命を受けた名和長重が、後醍醐天皇を背負って上陸しようとしている姿を描いた作品です。

その後、後醍醐天皇は船上山(せんじょうさん)に移動して名和長年らと共に兵を挙げ、「船上山の戦い」にて、隠岐守護であった「佐々木清高」(ささききよたか)を破っています。

名和長重の右腕のあたりに確認できる藁のような物は、水辺に生える植物である「真薦」(まこも)を用いて粗く編んだ、「薦」(こも)と呼ばれる筵(むしろ)。本来であれば、後醍醐天皇の移動には輿(こし)を用いるところですが、突然のことで準備が間に合わなかったため、名和長重は、甲冑(鎧兜)の上から薦を巻き、後醍醐天皇を背に負ぶって船上山に向かったのです。

本武将浮世絵の作者「小林清親」(こばやしきよちか)はもともと、西洋の画風や技術を研究し、光と影を効果的に用いた「光線画」(こうせんが)と称される表現技法を開発した浮世絵師。光線画の名手として高い評価を得ていましたが、1881年(明治14年)以降、光線画の制作からは遠ざかっています。

本武将浮世絵が描かれたのは、1884年(明治17年)のこと。その頃の日本では、明治初期の文明開化によって、日本全体が西洋文化の影響を受けた反動からか、日本の伝統的な文化や思想にこそ価値があるとする「国粋主義」(こくすいしゅぎ)の気運が高まっていました。小林清親が、近代化していく東京の風景などを画題としていた「光線画」から離れ、この武者絵のように歴史的な英雄などを描く「歴史画」(れきしが)に転じたのは、時代に求められていたことがその背景にあると言えるのです。

小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重

小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重の浮世絵

※写真はクリックすると、拡大してご覧頂けます。
画面を縦長で利用し、写真をクリックするとより大きな写真がご覧頂けます。
なお、画面の向きをロックしている場合は解除が必要です。

詳細情報

浮世絵師 小林清親 浮世絵の題材 後醍醐天皇

海外でも人気のある浮世絵の魅力を皆様にお届けするサイト「刀剣ワールド浮世絵」のコンテンツ「皇族浮世絵」の「小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重」ページです。
明治天皇などの皇族を描いた浮世絵を、描かれた式典等の解説と共にご覧頂けます。浮世絵師「小林清親」によって描かれた皇族浮世絵「小学日本略史 後醍醐天皇 名和長重」の画像・写真を、心ゆくまでご堪能下さい。
「刀剣ワールド浮世絵」には、浮世絵の基礎知識をはじめ、浮世絵の歴史や有名な浮世絵師など、浮世絵に関する情報が盛りだくさん。東海道五十三次の浮世絵はもちろん、武者絵(合戦浮世絵/侍・武将浮世絵)や役者浮世絵(歌舞伎絵)、皇族浮世絵といった一般財団法人「刀剣ワールド財団」が所有する浮世絵の写真・画像をご覧頂けるサイトです。この他、浮世絵YouTube動画・映像や浮世絵カレンダーといったコンテンツも充実していますので、ぜひ「刀剣ワールド浮世絵」で浮世絵の魅力をお楽しみ下さい。

もっと見る▼