皇族浮世絵

つきおかよしとし さく「だいにほんめいしょうかん うまやどのおうじ」 月岡芳年 作「大日本名将鑑 厩戸皇子」

大日本名将鑑 厩戸皇子

本皇族浮世絵は、馬上した「厩戸皇子」(うまやどのおうじ:聖徳太子)が、「物部守屋」(もののべのもりや)を弓で射抜く、勇ましい場面が描かれた1枚です。

厩戸皇子(聖徳太子)が、「冠位十二階」(冠の色によって階級を表わす制度)を制定する前の出来事で、紫色ではなく緑色の装束を着ているのが珍しく、反対色の赤色との組み合わせが、とても鮮やか。

587年に厩戸皇子(聖徳太子)の父である「用明天皇」(ようめいてんのう)が崩御すると、「穴穂部皇子」(あなほべのみこ:欽明天皇[きんめいてんのう]の息子、用明天皇の兄弟)を擁立する物部守屋と「推古天皇」(すいこてんのう:敏達天皇の妻)を擁立する「蘇我馬子」(そがのうまこ)との間で、皇位をめぐる争い「丁末の乱」(ていびのらん)が起こりました。

厩戸皇子(聖徳太子)は、推古天皇の甥だったことから、蘇我馬子側に加勢。このとき、厩戸皇子(聖徳太子)は、「戦いに勝利すれば、四天王を安置する寺院を建てる」と誓約します。

その後、無事勝利した厩戸皇子(聖徳太子)は、推古天皇の摂政となって四天王寺を建立して、冠位十二階、「十七条の憲法」を制定し、善政を行なったことは言うまでもありません。

月岡芳年」が描いた「大日本名将鑑」は、歴史上の英雄・名将が描かれた浮世絵大判目録共52枚揃えのシリーズ絵。本皇族浮世絵はその中の1枚で、図・右下の解説文に「太子 守屋を討ちて之を殺し」とある通りの絵です。

しかし、史実では物部守屋を射殺したのは、厩戸皇子(聖徳太子)ではなく、「迹見赤檮」(とみのいちい)という人物。発表された1877年(明治10年)当時は、いろいろな解釈があったのかもしれません。

大日本名将鑑 厩戸皇子

大日本名将鑑 厩戸皇子の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 厩戸皇子(聖徳太子)

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