本武将浮世絵の主題「瓢軍談五十四場」(ひょうぐんだんごじゅうよば)とは、「千成瓢箪」(せんなりびょうたん)を馬標とした「
豊臣秀吉」(木下藤吉郎、羽柴秀吉とも)の出世物語を描いた一連の作品です。瓢軍談五十四場は、その名の通り54枚の場面で構成されており、矢作橋での「蜂須賀小六」(はちすかころく)との出会いから、小田原征伐における
小田原城の落城までが描かれました。
本絵図には、豊臣秀吉の他に「
織田信長」や「
明智光秀」など、豊臣秀吉と深くかかわった戦国武将達の姿も登場します。豊臣秀吉の馬標となった千成瓢箪は、1567年(永禄10年)、「
斎藤道三」(さいとうどうさん)の居城である「稲葉山城」を織田軍が落城させた際、その手柄から、織田信長が豊臣秀吉に瓢箪を馬標として使用する許可を与えたもの。本浮世絵では、11番の「此下宗吉郎稲葉山の搦手を襲ふ」と、12番の「ひゃうたんの相図に寄手水門より、討入稲葉山落城」に描かれています。それ以降、豊臣秀吉は馬標に瓢箪を使い、合戦で勝利を得るたびに瓢箪の数を増やしていったのです。なお、「此下宗吉郎」は、豊臣秀吉のことを指しています。
本一連の絵図は、作者「歌川芳艶」(うたがわよしつや)の晩年である1864年(元治元年)に描かれた作品です。歌川芳艶は江戸時代末期に活躍した浮世絵師で、「武者絵の国芳」と名高い「歌川国芳」(うたがわくによし)の門人。師と同じく武者絵を得意としており、多くの武者絵を送り出したと言われています。