浮世絵の基礎を学ぶ

浮世絵の歴史

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現代では、浮世絵は芸術作品となり、一般大衆の生活に近い存在ではなくなりました。しかし、浮世絵が誕生した当初から江戸時代にかけては、ごく身近にありふれていたのです。そんな浮世絵の歴史と、時代によって少しずつ変化していった制作方法、そして人気のあるジャンルの移り変わりなどを見ていきます。

武将浮世絵写真武将浮世絵写真
武将を描いた迫力ある浮世絵[武者絵]や、著名な浮世絵師を紹介します。

浮世絵の誕生

浮世絵の始まりから、大衆文化として広がった経緯など、浮世絵の誕生について解説します。

戦国時代から江戸初期、菱川師宣以前の浮世絵

浮世絵は、「暮らし」、「風俗」、「流行」などが反映された絵の総称で、厳密に定義することが難しく、そのため何をもって浮世絵が始まったのかも研究者によって意見が異なります。

そのなかでも、多くの人から浮世絵の先駆者と言われるのが、「岩佐又兵衛」(いわさまたべえ)です。岩佐又兵衛は、戦国武将「荒木村重」(あらきむらしげ)の息子として誕生。荒木村重が「織田信長」に謀反を起こしたため荒木一族は滅ぼされましたが、岩佐又兵衛だけは乳母に救い出されて「石山本願寺」にかくまって貰い、生き延びます。

その後は、「織田信雄」(おだのぶかつ)の「御伽衆」(おとぎしゅう:主君の話し相手役)として仕え、織田信雄が改易(かいえき:身分と領地、屋敷の没収)されてから、京都で絵師になりました。岩佐又兵衛の代表作は、肉筆画「職人尽」(しょくにんづくし)です。

この頃の浮世絵は、まだ江戸では広まっておらず、主に京都で制作されていました。当時の浮世絵は、木版画ではなく肉筆画だったのです。

菱川師宣の登場

菱川師宣「見返り美人図」

菱川師宣「見返り美人図」

浮世絵を独立したひとつのジャンルとして確立したのは「菱川師宣」(ひしかわもろのぶ)だと考えられています。菱川師宣は肉筆画だけでなく、木版画に重点を置いて浮世絵を制作しました。

肉筆画は、1点物で価格が高くなってしまうのに対し、木版画は大量生産できるので、価格を安くすることができます。これにより、庶民も浮世絵を購入して楽しめるようになり、浮世絵は大衆文化として爆発的に広がったのです。

また、木版画の登場により浮世絵の制作だけで生計を立てる者が現れ、浮世絵師が職業として成立するようにもなりました。

木版浮世絵のもうひとつのメリットは、版木が資産になること。版木を持っている版元は、売れ筋の木版浮世絵をどんどん制作することが可能です。そして版元は、どんな浮世絵が売れるのか、将来はどんな浮世絵が流行するのかを真剣に考えるようになりました。

さらに浮世絵師は、自分が描いた浮世絵が売れなければ生活できなくなるので、技法などを研究し、また自分の個性を出すことに心を砕きます。それにより、ますます技術は高まり、素晴らしい作品を制作できるようになったのです。

そののち、墨1色の「墨摺絵」(すみずりえ)に筆で違う色を加えた浮世絵が制作されるようになります。それらの浮世絵は、「丹絵」(たんえ)や「紅絵」(べにえ)と呼ばれました。

18世紀前半には、あとから筆で色を加えるのではなく、色版を作って印刷で色を加える「紅摺絵」(べにずりえ)が誕生しました。紅摺絵は、3~4色加えるのみであったため色彩による表現力は墨摺絵に比べ少し上がった程度です。

しかし、墨1色から色を加える技術は、のちに「錦絵」(にしきえ)の誕生につながっていきます。菱川師宣の代表作は、肉筆画「見返り美人図」、墨摺絵「低唱の後」(ていしょうのあと)など。

のちに菱川師宣の画風を手本としながら「鳥居派」を興した浮世絵師「鳥居清信」(とりいきよのぶ)は、代表作に丹絵「滝井半之助」などがあります。

17世紀後半~18世紀中盤までの浮世絵の作風

菱川師宣は「美人画」も描きましたが、主に「枕絵」(まくらえ)や「名所絵」などを手がけていました。遊郭や芝居町(しばいまち)などは、庶民は見たことがなく話でしか聞いたことがないような場所で、その場所の様子を価格が安い浮世絵で観ることができたため人気を集めたのです。

菱川師宣や鳥居清信の影響を受けた浮世絵師「奥村政信」(おくむらまさのぶ)は、西洋の遠近法を取り入れ、芝居小屋を詳細に描いた浮世絵を制作しています。奥行きが表現されて臨場感あふれる浮世絵は人気となりました。

浮世絵の最盛期

浮世絵は大衆文化として大流行し、浮世絵制作の技術はどんどん向上していきました。浮世絵最盛期頃の有名な浮世絵師や、その作風などを解説します。

分業制度の確立

18世紀半ばになると、墨摺絵に筆で2~3色の色を付けて制作していた紅絵も、印刷で色を付ける紅摺絵が制作されるようになります。この頃から、絵師・彫師・摺師の分業制が確立していきました。

錦絵の誕生

1765年(明和2年)、旗本の「大久保甚四郎」(おおくぼじんしろう)と「阿部八之進」(あべはちのしん)が薬屋の「小松屋百亀」(こまつやひゃっき)と協力して、多色摺印刷の技術を開発。この技術の開発は、彫師と摺師の技術向上がなければあり得ませんでした。

これらの浮世絵は、錦織物のように華やかであったことから、錦絵と呼ばれるようになります。錦絵の魅力をより引き出すために版元が、「鈴木春信」(すずきはるのぶ)に下絵を依頼。鈴木春信が描いた浮世絵は、色彩が豊かで表現力が高く、庶民の間で広まり錦絵の大成者となりました。 

色彩豊かになった錦絵ですが、価格が1枚20~30文、現在の貨幣価値に換算すると400円程度と安かったことが、庶民の間で広まり人気となった要因です。鈴木春信が描いた錦絵には「中納言朝忠」(ちゅうなごんあさただ)などがあります。

喜多川歌麿と東洲斎写楽の登場

鈴木春信は、錦絵を庶民に広げましたが、錦絵が誕生してから数年で没してしまったのです。庶民は、鈴木春信に代わる新たな浮世絵師を求めていました。そんなときに登場したのが、「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)と「東洲斎写楽」(とうしゅうさいしゃらく)です。

喜多川歌麿の美人画は鈴木春信とは違い、女性の上半身をクローズアップすることで表情豊かに描きました。「大首絵」(おおくびえ)と呼ばれるこれらの美人画は、女性の内面を表情で表現しており、大人気となったのです。

東洲斎写楽「市川鰕蔵の竹村定之進」

東洲斎写楽「市川鰕蔵の竹村定之進」

一方、東洲斎写楽は「役者絵」を中心に描きました。東洲斎写楽の描く役者絵は、顔の表情を分かりやすくデフォルメして描いています。このデフォルメは、庶民にとっては大変インパクトがあり、評判となりました。

なお、東洲斎写楽は活動期間が8ヵ月と短かったので、その正体については様々な憶測を呼び、現代でも注目を集めています。

さらに、版元の存在も忘れてはいけません。なかなか人気が出なかった喜多川歌麿の才能を見出し、大首絵を考えて売り出したのは、版元「蔦屋重三郎」(つたやじゅうざぶろう)であり、興行的に不振だった歌舞伎界のてこ入れのために、東洲斎写楽に役者絵を描かせたのも蔦屋重三郎です。

浮世絵師が売れるかどうかは、版元がどのように売り出すかが非常に重要で、版元は今で言うところの総合プロデューサーの役目を果たしていました。

喜多川歌麿の代表作には「寛政三美人」(かんせいさんびじん)、東洲斎写楽の代表作には「市川鰕蔵の竹村定之進」(いちかわえびぞうのたけむらさだのしん)などが挙げられます。

浮世絵最盛期頃の作風まとめ

錦絵が誕生すると、美人画が人気となりました。錦絵による華やかな色合いが、美人画とよく合っていたためと言われています。

美人画の次に人気となったのは役者絵です。錦絵で色彩が豊かになり表現力が増したことによって、表情を描く人物画は人々の心を引き付けたのです。これらの人気にあやかろうと、大首絵など顔や上半身に焦点を当てた浮世絵を描く浮世絵師が多くなりました。

江戸時代後期の浮世絵

浮世絵の最盛期が過ぎ、美人画や役者絵に目新しさがなくなってしまった江戸時代後期、新たな流行が生まれます。江戸後期にブームとなった作風や、その絵師について解説します。

葛飾北斎と歌川広重の登場

美人画や役者絵は変わらず制作されていましたが、新鮮さが無くなって行き詰まりを見せるようになります。そんなときに登場したのが「葛飾北斎」(かつしかほくさい)と「歌川広重」(うたがわひろしげ)です。

葛飾北斎は、最初は役者絵を描いていました。のちに狩野派や西洋画などを学び、独自の作風を確立。「富嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)は、庶民の間で人気となり風景画のブームを作り上げたのです。葛飾北斎の描いた名所絵を観て、旅行をする人が急増したと言われています。

歌川広重「東海道五拾三次之内 桑名 七里渡口」

歌川広重「東海道五拾三次之内 桑名 七里渡口」

歌川広重も、最初は挿絵や役者絵を描いていましたが、風景画に興味をいだき始め「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)を制作しました。

歌川広重の風景画は、季節感を表した情景を見事に表現しています。

この時期、もうひとり重要な浮世絵師がいました。「歌川国芳」(うたがわくによし)です。

歌川国芳は役者などを描きましたが人気が出ず、「水滸伝」(すいこでん)のシリーズを手がけると人気が爆発。水滸伝ブームを巻き起こしました。その後も様々なジャンルの浮世絵を制作します。特に戯画におけるユーモアのセンスは、他の浮世絵師の追随を許しませんでした。

葛飾北斎葛飾北斎
天才と呼ばれた葛飾北斎について、その生涯や作品についてなど、様々なエピソードをご紹介します。

江戸後期の浮世絵の作風まとめ

錦絵の誕生で人気となった美人画や役者絵の人気に陰りが見え始め、代わりに風景画が人気となります。葛飾北斎、歌川広重、歌川国芳などの浮世絵師が描いた風景画がブームを牽引し、風景画を描く浮世絵師が増えました。

近代の浮世絵

近代になり、日本に写真が持ち込まれました。写真が浮世絵に与えた影響や、近代浮世絵を支えた浮世絵師について解説します。

浮世絵の衰退から新版画による復興

川瀬巴水「芝増上寺」

川瀬巴水「芝増上寺」

長い鎖国政策が終わり、明治時代になると写真が日本に入ってきます。写真は、今まで浮世絵が担っていた役目の代わりとなる表現方法で、浮世絵に比べて再現性が高く、短時間で制作できるため、庶民は徐々に浮世絵から離れていきました。

また、石板画や銅板画のような、錦絵よりも安く制作できる印刷技術がもたらされたことも、浮世絵が衰退した原因のひとつです。

浮世絵の衰退からの復興は、大正時代に「渡辺庄三郎」(わたなべしょうざぶろう)が起こした新版画運動によって成し遂げられました。新版画は、木版浮世絵と制作方法は同じですが、芸術性を重視し、写真とは違う創作的な浮世絵作品の制作を目標にしたのです。

また、分業制を推し進め、高い技術を身に付け、以前の浮世絵より表現力や芸術性が高い浮世絵を制作できるようにしました。

新版画で活躍した代表的な浮世絵師と作品は、「樋口五郎」(ひぐちごろう)の「浴湯の女」、「伊東深水」(いとうしんすい)の「立秋」、「川瀬巴水」(かわせはすい)の「芝増上寺」です。

近代浮世絵を支えた歌川派の浮世絵師

明治維新以降から新版画までの浮世絵界は、「歌川派」の浮世絵師達が作っていたと言っても良いほどでした。「豊原国周」(とよはらくにちか)は明治維新後の役者絵師として活躍しています。

「小林清親」(こばやしきよちか)は「最後の浮世絵師」、「明治の歌川広重」と評され、浮世絵に西洋の描写を取り入れ、新しい錦絵の確立を目指しました。

芸術作品としての浮世絵

これまで庶民に身近だった浮世絵が、その芸術性が西洋で高く評価されると、芸術作品として捉えられるようになっていきます。西洋の画家、特に印象派の画家達は、浮世絵の豊かな色彩、精巧な技術に大きな影響を受け、自らの作品に浮世絵の要素を取り入れる者も現れました。

また、日本の大正時代に起こった新版画運動は、芸術作品としての浮世絵制作を目指したものです。浮世絵が芸術作品として認識されるようになった反面、庶民にとって浮世絵は身近な存在ではなくなってしまいました。

浮世絵の歴史まとめ

浮世絵の源流とされる作品は、戦国時代から制作され始めたと言われています。なかには、菱川師宣こそが浮世絵の創始者だと言う意見もありますが、浮世絵の定義があいまいなため、人によって浮世絵の捉え方は異なるのです。

浮世絵は、西洋技術の流入によって一時期衰退しましたが、芸術作品として再興しました。浮世絵が芸術作品と捉えられたために、庶民からは遠い存在になってしまいましたが、それも浮世絵の歴史のひとつと考えられています。これまで時代によって浮世絵の作風は変化していますので、今後の浮世絵はどのような作風になるのか目が離せません。

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