浮世絵の基礎を学ぶ

浮世絵の基礎知識

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現代の日本人にとって「浮世絵」は、身近な絵画作品とは言えません。しかし過去には、浮世絵が庶民の間に広がって大衆文化となり、誰でも持っているような時代がありました。具体的に浮世絵とは、どのような作品のことを指すのでしょうか。浮世絵の種類や制作方法、価値や海外の画家に与えた影響などをご紹介します。

浮世絵の概要

浮世絵の手法から、浮世絵と錦絵の違いなど、浮世絵の制作方法についてご紹介します。

木版画と肉筆画

浮世絵は、大別すると「木版画」と「肉筆画」(絵画)に分けることが可能です。木版画は一般的な浮世絵で、絵師が描いた下絵をもとに彫師が版木に彫り、最後に摺師が摺ります。こちらは、大量生産が可能なので庶民でも手の届く価格で購入することができました。

それに対し、肉筆画は印刷でも版画でもなく、直接筆で紙に描かれた浮世絵のことを表します。1点物ですので、まったく同じ浮世絵は2つと存在しません。そのため価格も高価。裕福な人は、浮世絵師に注文して肉筆画を制作して貰っていました。多くの人気浮世絵師は木版画、肉筆画両方制作しています。なお、肉筆画の方が木版画より先に制作が始まりました。

木版画の種類

木版画の種類は、非常に多彩です。大まかには製本化の有無で分けることができ、製本化しない作品を「版画」、製本化した作品を「版本」(はんぽん)と呼びます。版画の種類として挙げられるのは単発作品の「一枚絵」、テーマに沿った連作の「組物」、今で言うチラシに相当する「摺物」や、絵入りの新聞「新聞錦絵」、さらに形状での分類として縦に細長な「柱絵」、団扇(うちわ)の形をした「団扇絵」(うちわえ)など。

版本は、もっと種類が多いのですが、分かりやすく現代のコンテンツで分類すると、「画集」、「マンガ」、「挿絵入りの小説」、「その他」の4つです。

画集に分類されるのは、一般的な画集である「絵本」、習作(しゅうさく)として利用できる構図などが掲載された「絵手本」(えでほん)、現代で言えばファッションカタログに相当する「雛形本」(ひながたぼん)、狂歌が浮世絵の中に組み込まれている現在の詩集に近い「絵入狂歌本」の4種類。

マンガのカテゴリは、現代の絵本にあたる「赤本」、浄瑠璃や歌舞伎などの題材をベースに書いた「黒本」と「青本」、ウィット(とんち)に富んだ大人向けの内容の「黄表紙」(きびょうし)、黄表紙の一部が長編化してできた「合巻」(ごうかん)。

挿絵入りの小説と呼べるのは、フィクション小説の「読本」(よみほん)、風俗関係に特化した「洒落本」(しゃれぼん)、庶民の生活にスポットライトを当てた「滑稽本」(こっけいぼん)、現在で言うところの恋愛小説である「人情本」(にんじょうぼん)、そしてジョーク集と言える「噺本」(はなしぼん)です。

その他には、浄瑠璃の筋書きが絵入りで書かれている「絵入浄瑠璃本」、絵入浄瑠璃本の歌舞伎版である「絵入狂言本」、現代で言えば映画のパンフレットに近い、狂言のシーンと俳優・役名が記載された「絵本番付」が存在します。

肉筆画の種類

肉筆画は、版画に比べると種類は多くありません。形状では絵巻物である「巻物」、蛇腹折の本である「折本」、掛け軸の形状の「掛幅」(かけふく)があり、目的別では祭り用の「幟」(のぼり)、現在の絵馬と形状は異なるものの、神社に奉納するという目的は同じ「絵馬」(えま)、扇に貼る「扇面」(おうぎえ)、看板に貼る「看板」などが存在します。

浮世絵と錦絵の違いとは?

錦絵は、浮世絵の種類のひとつです。浮世絵と言う大きなカテゴリのなかに錦絵があります。浮世絵と錦絵の違いですが、浮世絵は、墨1色で摺られた「墨摺絵」(すみずりえ)や紅色を加えた「紅摺絵」(べにずりえ)であるのに対し、錦絵は「多色摺木版画」のことで、カラフルかつ華やかです。

浮世絵の歴史と代表的な浮世絵師

浮世絵の歴史は長く、多くの浮世絵師が誕生しました。浮世絵最盛期頃の有名な浮世絵師や、その作風などを解説します。

浮世絵の歴史

浮世絵の祖は「岩佐又兵衛」(いわさまたべえ)と言われています。当時は、木版画ではなく肉筆画で浮世絵が制作されていました。

木版画の浮世絵を確立したのは17世紀後半の「菱川師宣」(ひしかわもろのぶ)です。菱川師宣は、肉筆画を手がけると共に、木版画を重視しました。木版画は大量生産できるので1枚の価格を安くすることができ、庶民も購入して楽しめるようになったことから、浮世絵は大衆文化として爆発的に広がったのです。そのため、この頃から浮世絵師が職業として成り立つようになりました。

その後、墨摺絵に筆で色を加える紅絵、色板を作り、印刷で2~3種類の色を加える紅摺絵を経て、多色摺木版画である錦絵が誕生します。錦絵の誕生で色彩豊かな浮世絵を制作できるようになり、人物画が庶民の間で人気となりました。錦絵の大成に貢献したのは「鈴木春信」(すずきはるのぶ)です。

鈴木春信の没後、人気を博したのは、「喜多川歌麿」(きたがわうたまろ)と「東洲斎写楽」(とうしゅうさいしゃらく)。それぞれ、「美人画」と「役者絵」を得意としていましたが、ふたりの作風は異なっていました。東洲斎写楽は、デフォルメを用いた分かりやすい役者絵を作成したのに対し、喜多川歌麿は女性の内面を顔の表情で表現する美人画を制作しています。この頃が、江戸時代における浮世絵の最盛期です。

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

1804~1830年(文化元年~文政13年)の化政文化の頃、人物画に代わって風景画が人気となり、その風景画を見た庶民が、絵に描かれた場所へ旅行するブームが起こりました。

この当時活躍した浮世絵師は、「葛飾北斎」(かつしかほくさい)や「歌川広重」(うたがわひろしげ)です。

江戸時代が終わると、西洋の写真、銅版画(どうばんが)などの新しい技術が日本に入ってきて、浮世絵は衰退していきました。

大正時代にはより高い芸術性を目指した「新版画運動」が起き、浮世絵は芸術作品として制作され始めたのです。

代表的な浮世絵師と作品

菱川師宣「見返り美人図」
鈴木春信「中納言朝忠」(ちゅうなごんあさただ)
喜多川歌麿「寛政三美人」(かんせいさんびじん)
東洲斎写楽「三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」(さんせいおおたにおにじのやっこえどべえ)
葛飾北斎「富嶽三十六景」(ふがくさんじゅうろっけい)
歌川広重「東海道五十三次」(とうかいどうごじゅうさんつぎ)
葛飾北斎葛飾北斎
天才と呼ばれた葛飾北斎について、その生涯や作品についてなど、様々なエピソードをご紹介します。

浮世絵の種類

浮世絵は大衆文化として大流行し、美人画や「風物絵」など様々な種類が登場しました。代表的な浮世絵とその作風などを解説します。

挿絵・一枚摺絵・肉筆画に大別

版本の挿絵は、文章の脇に描かれている浮世絵のこと。菱川師宣以前の浮世絵は、多くが挿絵でした。一枚摺絵は菱川師宣によって確立された、1枚の紙に刷られた浮世絵です。浮世絵と言えば、一枚摺絵が代表的と言えます。色を加えた紅絵なども一枚摺絵です。肉筆画は、筆を使って直接紙に浮世絵を描いていきます。

人物を描いた役者絵や美人画

浮世絵の題材でジャンル分けすると、人物を描いた役者絵や美人画が取り分け高い評判を呼びました。男性に人気のあった美人画とは、吉原の遊女や茶屋の娘などを描いた浮世絵のこと。美人画の代表的な浮世絵師と作品は、喜多川歌麿の寛政三美人や、「歌川国貞」(うたがわくにさだ)の「当世美人合 江戸芸者」、鈴木春信の「柳家見立三美人」です。

一方、女性に人気があったのが役者絵。歌舞伎役者を描いた浮世絵のことで、「歌舞伎絵」とも言います。代表的な役者絵の浮世絵師と作品は、東洲斎写楽の三世大谷鬼次の奴江戸兵衛(さんせいおおたにおにじのやっこえどべえ)、「歌川国芳」(うたがわくによし)の「七津意呂婆東都布地尽 浦橋八十之助」(ななついろはとうとふじづくし うらはしやそのすけ)です。

人物画には、他にも相撲取りを描いた「相撲絵」、歴史上や伝説の人物を描いた「武者絵」などがあります。

風景や建物を描いた名所絵や風物絵

歌川広重「東海道五拾三次之内 吉田 豊川橋」

歌川広重「東海道五拾三次之内 吉田 豊川橋」

風物絵も人気が高い浮世絵のジャンルでした。

江戸時代は現代とは違い、写真も映像もありません。そのため、見たことがない風景などは話を聞き想像するしかありませんでした。

しかし風物絵では、見たことがない景色や建物の情報を視覚から得ることができるのです。

これは当時としては素晴らしいことでした。

代表的な風物絵の浮世絵師と作品は、葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」(ふがくさんじゅうろっけい がいふうかいせい)、歌川広重「名所江戸百景 亀戸梅屋舗」(めいしょえどひゃっけい かめいどうめやしき)です。

その他、様々な浮世絵を紹介

浮世絵の題材によるジャンルはたいへん多く、すべてをご紹介することはできないので、これまで紹介した浮世絵の他に3ジャンルをご紹介します。

「花鳥画」(かちょうが)は、鳥や花を描いた作品で、俳諧や狂歌の挿絵によく使われ、壁や屏風に貼る人もいました。代表的な浮世絵師は歌川広重で、代表的作品は「桜につなぎ猿」や「鯛に山椒」などがあります。

「春画」(しゅんが)は、性的な描写を描いた浮世絵で、錦絵が登場すると一層広まっていきました。有名な浮世絵師も描いています。取り締まりの対象になることが多かったので、作者・絵師・版元が分からないようにするなどの対策が採られました。葛飾北斎の「蛸と海女」などが有名です。

「戯画」(ぎが)は、漫画のように面白く描いた浮世絵で、世相を皮肉っていたり、動物を擬人化したりしています。戯画を描くには笑いやユーモアのセンスが必要。代表的な浮世絵師は、歌川国芳「猫の当て字 なまず」などです。

浮世絵の制作方法

浮世絵はひとりで制作する時代から、分業制へと変化していきます。浮世絵ができ上がるまでの経緯など、職人や道具について解説します。

浮世絵に使用する材料

絵師は基本として、墨と筆と紙で下絵を制作します。木版浮世絵が制作されるようになると、使用する材料が増えました。

彫師は、山桜の木の版木に小刀やノミで彫り、摺師は馬連(ばれん)や刷毛(はけ)、顔料を使って摺ります。顔料は赤、青、黄の三原色を使い、混ぜ合わせて様々な色を表現。

顔料の材料は、赤は紅花・丹砂(たんさ:水銀とイオウからなる鉱物)・銀朱(ぎんしゅ:水銀とイオウを混ぜて焼いた物)、青はツユクサ(青花)・藍・ベロ藍、黄はウコン・雌黄(しおう:オトギリソウ科の植物から採れる樹脂)などを使っていました。

浮世絵制作は分業制

18世紀中期、紅摺絵が制作されるようになると、浮世絵の制作は分業制が定着していきます。絵師、彫師、摺師、版元が分業してひとつの浮世絵作品を制作。版本の場合はさらに、作者と筆耕(ひっこう:報酬を得て清書すること)と製本の過程が加わりました。

絵師・彫師・摺師・版元の役割

絵師は入念な打ち合わせを繰り返し、版元の依頼に応じて下絵を描きます。彫師は、絵師によって描かれた下絵を正確に、完成後の実像もイメージしながら彫っていく役割です。1枚の浮世絵作品を制作する際、通常は彫師が複数人で分担しました。髪の毛を彫るなどの細かい作業や、顔の表情など作品のポイントになる箇所は熟練した職人が彫り、着物の柄や背景などは若い職人が彫ったと言います。

版木の制作が終わると、最後は摺師の仕事です。ただ摺れば良いということではありません。力の入れ具合、顔料の量や場所、顔料を作る際の水分量など知識・経験・技術が必要になる仕事です。

版元は、企画から宣伝、販売まで担う、現代の出版社にあたる存在と言えます。どのような浮世絵が人々から好まれ売れそうなのかを考えると共に、これから人気が出そうな浮世絵も予測しなくてはなりません。また、絵師を見出し、売り方などのアイディアを考えるのも版元の役目なのです。

浮世絵の価値と影響

日本国内で浮世絵の価値が、どう変化してきたのか、また、日本の浮世絵が海外の絵師に与えた影響などを作品を交えてご紹介します。

当時の価値と現在の価値

人気によっても浮世絵の価格は異なってきますが、当時の木版浮世絵は庶民でも購入できる価格で売られており、現在の貨幣価値に直すと300~400円ほど。サイズが小さい浮世絵や人気がない浮世絵は100~200円程度でした。

現在の価格は、葛飾北斎や歌川広重など有名な浮世絵師の作品は、状態が良い作品なら数百万円、状態が悪くても数万円はします。無名の浮世絵師が制作した浮世絵の場合は、数千円で購入できる作品もあるとのことです。

肉筆画は1点物なので価格に基準はなく、有名浮世絵師の作品であれば数千万円以上で取引されています。

海外での評価が高い

日本国内より海外での評価が高く、浮世絵の大部分は海外に流出。日本では、古くなった浮世絵は割れ物を包むときに使用したりしていました。当時の日本で浮世絵は身近な存在だったため、その価値を感じることができず粗雑に扱ってしまったのです。

ヨーロッパの人達からすると、これほどの芸術作品が庶民の間で広がっているのは信じられないことでした。素晴らしい芸術作品が大衆文化にまでなったのは、世界的に見ても例のないことだったのです。開国後、浮世絵が海外に輸出できるようになると、海外では浮世絵は人気となり、日本で販売されていた価格の何倍もの価格で取引されるようになりました。

現在、ヨーロッパの美術館には数多くの浮世絵が収蔵されており、個人のコレクターも相当な数の浮世絵を収集しています。

浮世絵が海外に与えた影響

当時、ヨーロッパの画家達は浮世絵を高く評価しました。浮世絵の繊細な色彩、精工な技術は当時のヨーロッパの人達を驚かせたと言われています。

特に、印象派の画家達は浮世絵に影響され、自分の作品に浮世絵の特徴を取り入れるほどでした。

例えば、「クロード・モネ」が着物姿の夫人を描いた「ラ・ジャポネーズ」などが有名です。

また、ポスト印象派を代表するオランダの画家「フィンセント・ファン・ゴッホ」も、自作の「タンギー爺さん」の背景に浮世絵を描いています。

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