合戦浮世絵
ようしゅうちかのぶ さく「こまきやませんそうのず」 楊洲周延 作「小牧山戦争之図」

「歌川国芳」(うたがわくによし)や「歌川国貞」(うたがわくにさだ)に師事したのちに「豊原国周」(とよはらくにちか)に転じ、国周一門の中でもその第1の高弟として知られる「楊州周延」(ようしゅうちかのぶ)。大奥風俗や宮廷官女などの美人風俗画の名手として明治時代に人気を博していましたが、もともとは江戸幕府の御家人であり、初期には武者絵や西南戦争を題材とした作品も手がけていました。
本合戦浮世絵では、「羽柴(豊臣)秀吉」と「徳川家康」が唯一真っ向から衝突したと伝えられる1584年(天正12年)の「小牧・長久手の戦い」(こまき・ながくてのたたかい)において、秀吉方の「加藤清正」(かとうきよまさ)と家康方の「本多忠勝」(ほんだただかつ)が直接対峙している場面が描かれています。
同合戦での清正と忠勝の対決は、実際には小競り合い程度で終わったとも考えられていますが、本合戦浮世絵は、延周独特の鮮やかな色使いをもって、両武将の凄まじい気迫が表されている作品です。