合戦浮世絵

はせがわさだのぶ さく「とくがわちせきねんかんきじ じゅうよんだいしょうとくいんでんいえもちこう」 長谷川貞信 作「徳川治績年間紀事 十四代昭徳院殿家茂公」

徳川治績年間紀事 十四代昭徳院殿家茂公

本合戦浮世絵右側で陣笠を被って葵紋をあしらった陣羽織を着用し、小高い場所から武士達の戦を眺めている人物が、江戸幕府14代将軍の「徳川家茂」(とくがわいえもち)です。

本合戦浮世絵の詞書(ことばがき:浮世絵の画中に添えられた説明文)によれば徳川家茂は、1865年(慶応元年)閏5月16日に江戸城を進発し、3度目の上洛(じょうらく)を果たします。その翌年に行なわれた倒幕派の長州藩(ちょうしゅうはん:現在の山口県)と幕府軍による「第二次長州征伐」(だいにじちょうしゅうせいばつ)において、徳川家茂は幕府軍の指揮を執っており、その拠点となった「大坂城」に、この上洛のタイミングで入りました。

本合戦浮世絵で描かれているのは、徳川家茂が滞在した大坂城の城内にて、その配下にあった幕府軍の武士達による武芸の演習。彼らの頭をよく観てみると、それぞれ紅白の鉢巻が締められています。二手に分かれて敵味方が入り乱れている様子からは、合戦の本番さながらに演習が行なわれていたことが窺えるのです。

本合戦浮世絵の作者「長谷川貞信」(はせがわさだのぶ)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけて、大坂を中心に制作された「上方浮世絵」(かみがたうきよえ)を代表する絵師。長谷川貞信は、本合戦浮世絵のような武者絵や役者絵など、様々な分野の浮世絵を手がけており、その中でも風景画に定評がありました。

長谷川貞信の作画期は1823年(文政6年)頃、つまり江戸時代後期より始まっていますが、1722年(享保7年)11月に江戸幕府より出された「御触書」(おふれがき)により、「徳川家康」(とくがわいえやす)はもちろん、その他の徳川一門についても、浮世絵を始めとする出版物の題材に取り上げることが禁じられていたのです。その背景には、出版統制を図ることで、幕府への批判を抑制し、その支配体制を保持する目的があったと考えられます。

また、本合戦浮世絵において、徳川家茂の陣羽織や武士の鉢巻などに用いられている派手やかな赤色は、明治期の浮世絵に見られる大きな特徴のひとつです。こういったことから本合戦浮世絵は、明治時代以降に描かれたことが推測できます。

徳川治績年間紀事 十四代昭徳院殿家茂公

徳川治績年間紀事 十四代昭徳院殿家茂公の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 長谷川貞信 浮世絵の題材 第二次長州征伐

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