武将浮世絵
つきおかよしとし さく「よしとしむしゃぶるい あくしちべいかげきよ」 月岡芳年 作「芳年武者无類 悪七兵衛景清」

本武将浮世絵に表されているのは、1185年(元暦2年/寿永4年)の「屋島の戦い」で起きた「しころ引き」の場面です。
平氏方が掲げた扇の的を、源氏方の「那須与一」(なすのよいち)が見事に射止めたのち、再び両軍入り乱れての戦いが始まります。
先陣を切った本図右側の平氏方「藤原景清」(ふじわらのかげきよ)と、左側の源氏方「美尾屋十郎」(みおやじゅうろう)は波打ち際で対峙しますが、大薙刀(おおなぎなた)を振るう藤原景清に対して、小太刀(こだち)のみを手にしていた美尾屋十郎は、分が悪いと見て逃げようとしました。
逃がすものかとばかりに、藤原景清が美尾屋十郎の錣(しころ:兜の首まわりを覆って防御する部分)をつかみ、引っ張り合いになります。ついに錣を引きちぎった藤原景清は、「我こそは都で名高い悪七兵衛藤原景清」(あくしちべいかげきよ)と大声で名乗りを上げたのです。
まさに錣がちぎられた一瞬を、本武将浮世絵の制作者である「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、迫力満点に描き出しました。幕末から明治時代初期を代表する浮世絵師・月岡芳年の面目躍如と言えます。
