武将浮世絵
つきおかよしとし さく「よしとしむしゃぶるい だんじょうのちゅうまつながひさひで」 月岡芳年 作「芳年武者无類 弾正忠松永久秀」

本武将浮世絵に描かれているのは、「織田信長」(おだのぶなが)の家臣であった「松永弾正久秀」(まつながだんじょうひさひで)が、主君に2度目の反旗を翻して1577年(天正5年)に勃発した「信貴山城の戦い」(しぎさんじょうのたたかい)において、織田軍に包囲され、いよいよ自害に追い込まれたという最期の瞬間。
左側上部に粉々になって飛び散っているのは、茶人としても名を馳せていた松永弾正久秀が所有していた茶釜「古天明平蜘蛛」(こてんみょうひらぐも)の欠片(かけら)。「平蜘蛛」は、以前より織田信長が何度も所望していましたが、決して松永弾正久秀が譲らなかった名物です。
松永弾正久秀は、織田信長から命を助ける代わりに、平蜘蛛を渡すように条件を提示されましたが、これを断固拒否。自害の直前に、自らの手で平蜘蛛を柱に投げ付けて叩き割ったという逸話が残っています。
本武将浮世絵が含まれる「芳年武者无類」(よしとしむしゃぶるい)のシリーズは、幕末から明治時代前期にかけて活躍し、「最後の浮世絵師」と称された「月岡芳年」(つきおかよしとし)が、1883~1886年(明治16~19年)にかけて制作した「武者絵」の揃物になっています。
上に向かって流れる着物の紐と振り乱れる髪の毛、そして頭上にパッと上げて開かれた手など、ストップモーションを思わせる表現技法が用いられ、まさに月岡芳年の真骨頂が発揮された作品です。
