合戦浮世絵

つきおかよしとし さく「おけはざまかっせん いながわよしもとちょうしんちんぼつのず」 月岡芳年 作「桶狭間合戦 稲川義元朝臣陳没之図」

桶狭間合戦 稲川義元朝臣陳没之図

本合戦浮世絵は、「桶狭間の戦い」で討ち取られた戦国大名「今川義元」を題材とした作品です。

当時、「海道一の弓取り」(東海道最強の武将)の異名を取っていた今川義元は、尾張(現在の愛知県西部)の一部を手に入れ、さらなる勢力拡大を狙って織田領に侵攻しました。今川軍と織田軍の間には、圧倒的な兵力差があったことから、勝ち目がないとみた「織田信長」の家臣らは、今川義元との直接対決には否定的だったと言われています。

そんな状況の中、織田信長は「桶狭間」で小休止していた今川義元本隊を急襲。「日本三大奇襲」にも挙げられた戦いで今川義元を討ち取った織田信長は、そのあと、「天下布武」を掲げて天下統一路線を突き進んで行ったのです。

題名にある「稲川義元」は、今川義元をもじった名前。本合戦浮世絵では、史実において、今川義元に一番を付けながらも返り討ちに遭ったとされる「服部平太郎宗次」こと「服部一忠」(はっとりかずただ)が右側の画面に描かれ、首を取った「毛利新助秀詮」こと「毛利良勝」(もうりよしかつ)は、真ん中の画面で、稲川義元の体を抱えて首を取らんとする様子を描写しています。

このような手法が用いられたのは、江戸時代においては、幕府によって天正年間(1573~1592年)以降の大名家・徳川家を題材にした浮世絵を描くことが禁じられていたためでした。

本合戦浮世絵の作者は、幕末から明治時代にかけて活動していた「月岡芳年」(つきおかよしとし)。独特な画法で「最後の浮世絵師」との異名もあります。

桶狭間合戦 稲川義元朝臣陳没之図の浮世絵

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浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 桶狭間の戦い

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