武将浮世絵

おおくらこうとう さく「かんこうごいくん」 大倉耕濤 作「菅公御遺訓」

菅公御遺訓

浮世絵のタイトルにある「菅公」(かんこう)とは、現代では学問の神様としても知られている、平安時代末期の公家であり学者でもあった「菅原道真」(すがわらのみちざね)の敬称。菅原道真は、59代天皇である「宇多天皇」(うだてんのう)より厚い信任を得て、899年(昌泰2年)、「右大臣」(うだいじん)の地位にまで上り詰めました。

本浮世絵の左部に記されているのは、菅原道真の「御遺訓」(ごいくん:父祖や故人が子孫に伝えるために残した教え)。そして、同じく右部に描かれているのは、「牛」に跨る(またがる)菅原道真の姿です。戦国武将が戦場で乗るのは「馬」ですが、牛は平安時代の貴族の一般的な乗り物でした。

しかし、菅原道真と牛の関係は、それだけではありません。菅原道真の生誕年が「丑年」(うしどし)であったり、左遷によって太宰府(だざいふ:現在の福岡県太宰府市)にまで落ち行く道中で、突然命を狙われそうになった際に、白い牛が飛び出してきたことで助けられたりと、菅原道真と牛にまつわる伝承や逸話がいろいろと残されているのです。

そのため、「太宰府天満宮」(だざいふてんまんぐう)を始めとして、菅原道真を祀る全国の天満宮には多くの牛の像が奉納されており、牛が菅原道真の象徴であったことが窺えます。

本浮世絵を描いた「大倉耕濤」(おおくらこうとう)は、明治20年代(1887~1896年)から明治30年代(1897~1906年)にかけて活動した浮世絵師。大倉耕濤は、新聞挿絵で人気を博していた「尾形月耕」(おがたげっこう)の門下に入り、美人画を得意としていました。

菅公御遺訓の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 大倉耕濤 浮世絵の題材 菅原道真

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