合戦浮世絵

つきおかよしとし さく「おおさかぐんきのうち はんだいじやまはいしょうにほんごうやりきず」 月岡芳年 作「大坂軍記之内 半田寺山敗将日本号鎗傷」

大坂軍記之内 半田寺山敗将日本号鎗傷

本合戦浮世絵では、3枚続で構成されている画面中央において、白い「母衣」(ほろ)で「豊臣秀頼」の子「国松」を背負った豊臣方の「後藤又兵衛」(ごとうまたべえ)が名日本号」を籠に突き立て、その左側から日本刀(刀剣)を手にした旗本「大久保彦左衛門」(おおくぼひこざえもん)が慌てて襲い掛かっている様子を表情豊かに描写しています。それもそのはず、実はこの籠の中には「徳川家康」が隠れていたのです。

作者の「月岡芳年」(つきおかよしとし)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活動していた浮世絵師。コマ送りのような独特の手法で描かれる躍動感あふれた「武者絵」に定評があります。

本合戦浮世絵の題材となったのは、大阪府堺市にある「南宗寺」(なんしゅうじ)に伝わる「徳川家康の死」にまつわる逸話です。すなわち、1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」において豊臣方の「真田信繁[幸村]」の突撃を受け、戦場をあとにした徳川家康は、半田寺山(はんだいじやま:現在の大阪府堺市)で、熊野(現在の和歌山県南部、三重県南部)から「大坂城」へと戻る途中の後藤又兵衛と遭遇。国松を背負った後藤又兵衛は、14~15人の敵を谷底に突き落とすと、籠に日本号を突き立てました。籠に隠れていた徳川家康は後藤又兵衛が突いた槍に貫かれて死亡。江戸幕府軍は、「天台宗」の僧「南光坊天海」(なんこうぼうてんかい)を影武者にして戦を続行したというものです。

徳川家康は、1616年(元和2年)の「駿府城」で死亡したというのが通説。にわかには信じがたい逸話ですが、南宗寺の境内には「徳川家康の墓」が存在しており、「徳川秀忠」、「徳川家光」が相次いで参拝したという記録が残っています。これらのことから、南宗寺が徳川家にとって、特別な存在だったということもまた事実です。

大坂軍記之内 半田寺山敗将日本号鎗傷の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 大坂夏の陣

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