武将浮世絵
つきおかよしとし さく「よしとしむしゃぶるい さがみじろうたいらのまさかど」 月岡芳年 作「芳年武者无類 相模次郎平将門」

本武将浮世絵(武者絵)において最初に目を引くのは、「平将門」(たいらのまさかど)と彼が跨る馬の描写が醸し出す、溢れる躍動感と見事な迫力。平将門が手に持つ槍を起点として、こちらに尻を向けて転げる武士に至るまで、1本の縦線で繋がっているかのようにも思える大胆な構図が用いられています。
平安時代中期に、関東の豪族であり武士でもあった平将門。やがて関東諸国を巻き添えにする平氏一族との抗争など、戦いに明け暮れていましたが、そのたびに武功を挙げ、大いなる活躍を見せていました。
また、50代天皇「桓武天皇」(かんむてんのう)の血を引いていた平将門は、939年(天慶2年)に勃発した「平将門の乱」の際に、朝廷の61代天皇「朱雀天皇」(すざくてんのう)に対抗して自身を「新皇」(しんのう)と称し、関東を支配下に置く宣言をしています。
本武将浮世絵(武者絵)では、そんな平将門の暴れぶりを遺憾なく表現。平将門にとって最後の戦いとなった同合戦を題材にしたと推測され、晩年期にあっても、彼の獰猛さが衰えていなかったことが窺える作品です。
