武将浮世絵

つきおかよしとし さく「つきひゃくし おもいきや
くもいのあきのそらならて ひでつぐ」
月岡芳年 作「月百姿 おもひきや
雲ゐの秋のそらならて 秀次」

月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次

本武将浮世絵の中央にて、白い裃(かみしも)を身に付けて俯いた姿で座っている人物は、「豊臣秀吉」の跡を継ぎ、豊臣氏2代関白となった武将「豊臣秀次」(とよとみひでつぐ)。

豊臣秀次は、1585年(天正13年)の「紀州征伐」や「四国平定」、1590年(天正18年)の「小田原征伐」など、数々の合戦で武功を挙げたことにより、近江国(現在の滋賀県)や尾張国(現在の愛知県西部)、伊勢国(現在の三重県北中部)を合わせて、100万石を領する大名となりました。

そして1591年(天正19年)、豊臣秀次は、嫡男のいない豊臣秀吉の養嗣子となって関白の座に就きましたが、1593年(文禄2年)に「豊臣秀頼」(とよとみひでより)が生まれたことによって、豊臣秀吉から忌み嫌われるようになってしまったのです。

本武将浮世絵の詞書(ことばがき:絵巻物などに添えられる説明文)である「おもひきや」から始まる句は、「宮中からではなく、蔦(つた)の絡まる窓辺から満月を眺めることになるとは」という、豊臣秀次の悔いた気持ちが表れた一句。本武将浮世絵では、豊臣秀吉によって、高野山(現在の高野山金剛峯寺)へと追放された豊臣秀次の姿が描かれていると推測できます。

本武将浮世絵は、幕末から明治時代前期にかけて活躍した浮世絵師、「月岡芳年」(つきおかよしとし)による連作「月百姿」(つきひゃくし)に含まれる作品。竹格子越しに見える月からは、目を伏せた豊臣秀次の表情も相まって、美しくもどこか物悲しい印象を受けます。

月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次

月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次の浮世絵

※写真はクリックすると、拡大してご覧頂けます。
画面を縦長で利用し、写真をクリックするとより大きな写真がご覧頂けます。
なお、画面の向きをロックしている場合は解除が必要です。

詳細情報

浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 豊臣秀次
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

関連浮世絵のご紹介

海外でも人気のある浮世絵の魅力を皆様にお届けするサイト「刀剣ワールド/浮世絵」。こちらのページは「武者絵(刀剣・合戦・侍・武将・甲冑浮世絵)」の「月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次」ページです。
武者絵のなかでも、甲冑姿の武将を描いた浮世絵・武者絵。こちらでは「月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次」の写真・画像と解説がご覧頂けます。写真・画像は拡大できますので、「月百姿 おもひきや 雲ゐの秋のそらならて 秀次」の世界を隅々までご堪能下さい。
「刀剣ワールド/浮世絵」には、浮世絵の基礎知識をはじめ、浮世絵の歴史や有名な浮世絵師など、浮世絵に関する情報が盛りだくさん。東海道五十三次の浮世絵はもちろん、武者絵(合戦・侍・武将・甲冑浮世絵)や役者浮世絵(歌舞伎絵)、皇族浮世絵、戦争絵といった一般財団法人「刀剣ワールド財団」が所有する浮世絵の写真・画像をご覧頂けるサイトです。この他、浮世絵YouTube動画・映像や浮世絵カレンダーといったコンテンツも充実していますので、ぜひ「刀剣ワールド/浮世絵」で浮世絵の魅力をお楽しみ下さい。

もっと見る▼