武将浮世絵

うたがわくにまさ さく「だいとくじのしょうこうに
ひでよししょしょうをくじく」
歌川国政(五代) 作「大徳寺ノ焼香ニ
秀吉諸将ヲ挫ク」

大徳寺ノ焼香ニ秀吉諸将ヲ挫ク

本武将浮世絵は、大徳寺(現在の京都府)で行なわれた「織田信長」の法要を描いた1枚です。1582年(天正10年)の「山崎の戦い」で「豊臣秀吉」が「明智光秀」を討ち取ったあと、「清州会議」が行なわれ、織田家の後継者は「柴田勝家」が推す「織田信孝」(織田信長の3男)と豊臣秀吉が推す「三法師」(織田信長の嫡男・織田信忠の長男)で意見が対立しました。結果、後継者は三法師に決定し、法要も豊臣秀吉が取り仕切ることになったのです。

面白くないのが柴田勝家。せめて家中の実権を握ろうと、他の武将達と焼香の順番をめぐって争っていたところ、豊臣秀吉が三法師を抱いて現われ、「一番に焼香をするのは三法師様だ」と大喝したのです。寺のまわりには豊臣秀吉の伏兵が取り囲んでおり、柴田勝家達は何も言い返すことができませんでした。

結局、一番に焼香をしたのは、幼い三法師の代わりを務めた、豊臣秀吉だったのです。豊臣秀吉はこのようにして、家臣の中で第一の地位を確立していきました。

本武将浮世絵を描いたのは、「小国政」(こくにまさ)。小国政とは、歌川国政(五代)のこと。明治時代の浮世絵師で、歌川国貞(三代)の長男と言われています。父に絵を学んだのち、日本画家「飯島光峨」(いいじまこうが)に師事。「風俗画」や日清・日露戦争などの「戦争絵」を多く手掛けています。

大徳寺ノ焼香ニ秀吉諸将ヲ挫クの浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 歌川国政(五代) 浮世絵の題材 豊臣秀吉

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