武将浮世絵

つきおかよしとし さく「しんせんあずまにしきえ くすのきまさしげさくらいえきに
おいていっしまさつらにいくんしてけつべつするのず」
月岡芳年 作「新撰東錦絵 於楠正成桜井駅ニ
一子正行ニ遺訓シテ訣別スルノ図」

新撰東錦絵 於楠正成桜井駅ニ一子正行ニ遺訓シテ訣別スルノ図

本武将浮世絵は、南北朝時代の武将「楠木正成」(くすのきまさしげ)が、嫡男「楠木正行」(くすのきまさつら)に今生の別れを告げた「桜井駅の別れ」を描いた一場面です。桜井駅とは、現在の大阪府三島郡にあった駅家のこと。律令制下では30里(16km)ごとに駅家が設けられていました。

1336年(建武3年/延元元年)楠木正成は「湊川の戦い」に出陣する際に、「最期まで父上と共に」と懇願する11歳の楠木正行にこう告げます。 「お前を故郷の河内に帰す。これは、私が討死したあとのことを考えてのこと。後醍醐天皇のために命を惜しみ、忠義の心を失わず、一族郎党ひとりでも生き残るようにして、いつの日か必ず朝敵を滅せ」。

楠木正成はこの言葉と共に、後醍醐天皇から下賜された菊水の短刀を楠木正行に授けたのです。このあと、楠木正成は「足利尊氏」に敗れて自刃。しかし、その後も「南北朝の動乱」は約60年続きます。

帰郷した楠木正行は、南朝(後醍醐天皇側)に仕えて父・楠木正成の言葉通り忠勤し、河内守(現在の大阪府東部)兼摂津守(現在の大阪府北中部と兵庫県南東部)に出世。授けられた短刀は、今も天野山金剛寺の宝物殿に所蔵されています。

本武将浮世絵を描いたのは、幕末から明治時代前半にわたって活躍した「月岡芳年」(つきおかよしとし)。12歳で「歌川国芳」の門に入り、無残絵で有名に。「新撰東錦絵」は、シリーズ絵として1885年(明治18年)から1889年(明治22年)にかけて描かれました。

新撰東錦絵 於楠正成桜井駅ニ一子正行ニ遺訓シテ訣別スルノ図の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 月岡芳年 浮世絵の題材 楠木正成

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