合戦浮世絵

うたがわよしふじ さく「くすのきまさしげこんごうざんちはやくつのしろをきずくのず」 歌川芳藤 作「楠正成金剛山千破窟の城を築く図」

楠正成金剛山千破窟の城を築く図

本合戦浮世絵は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将「楠木正成」(くすのきまさしげ)が、鎌倉幕府を相手に1333年(元弘3年[南朝]/正慶2年[北朝])に、「千早城の戦い」を起こそうと築城している様子を描いた1枚です。

1331年(元弘元年[南朝]/元徳3年[北朝])に起きた「元弘の乱」の結果、後醍醐天皇は隠岐島に流され、関係者は処罰。楠木正成が築いた「赤坂城」(現在の大阪府)も陥落し、楠木正成は逃亡していました。しかし翌年、楠木正成は赤坂城を奪還。さらに、背後の山に素早く「千早城」を築いて攻防を繰り広げ、ついに勝利したのです。

本合戦浮世絵の左に座っているのが、楠木正成。しかし良く見ると、千早城はこの時代にはまだない石垣造り製法がなされ、点在する提灯には戦国武将織田信長」の家紋「織田木瓜」が描かれています。そこで、この絵は「見立絵」(みたてえ:過去の史実になぞらえて当世を描いた絵)で、本当は織田信長の家臣「豊臣秀吉」が建てた「一夜城」の建築風景を描いた物だと気付くのです。

本合戦浮世絵が描かれたのは1851年(嘉永4年)頃。1804年(文化元年)の江戸幕府の発令により、「太閤記ブーム」で人気が高かった豊臣家はもちろん、天正年間の大名家を描くことがまだ禁止されていました。

本合戦浮世絵を描いたのは、江戸時代後期から明治時代に活躍した「歌川芳藤」(うたがわよしふじ)です。武者絵の他、玩具絵に長け、「おもちゃ芳藤」と呼ばれました。

楠正成金剛山千破窟の城を築く図
の浮世絵

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詳細情報

浮世絵師 歌川芳藤 浮世絵の題材 千早城の戦い
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

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