合戦浮世絵
つきおかよしとし さく「やしまだいがっせんのず」 月岡芳年 作「矢嶋大合戦之図」 - 刀剣ワールド

本合戦浮世絵は、題に「矢嶋大合戦」とありますが、題材は「源平合戦」の最後に行われた「壇ノ浦の戦い」。
右奥には源平両軍の船戦を、手前中央と左には源平代表の2人を描きます。左は、平清盛の娘で安徳天皇の母・建礼門院(平徳子)。船の幕に平氏の揚羽蝶紋(あげはちょうもん)が、帳(とばり)に皇室の桐紋が表されます。中央の、建礼門院と対面する武者は源義経。源氏の竜胆紋(りんどうもん)をあしらった直垂と赤糸威の甲冑を着る姿は、同じ月岡芳年作「源平矢嶋大合戦之図」での源義経と共通します。
兜にV字形の鍬形と獅子の頭立が付くこの甲冑は、「集古十種」甲冑の部の最初に掲載される「源義経の大鎧」を引用したもの。「集古十種」掲載の当該甲冑を登場させた表現からは、様々な資料を駆使して作品に説得力を持たせようとした月岡芳年の工夫がうかがえます。
源義経は、源平合戦後に兄の源頼朝と関係が悪化。各地を転々と逃れ、最期は陸奥の平泉で自害しました。建礼門院も、父の平清盛を背後に高倉天皇の后となりますが、源平の争いに巻き込まれて我が子の安徳天皇や平家一門の多くを失い、京都大原の寂光院で余生を過ごしました。
源義経と建礼門院が直接会った史実は確認できませんが、激動の生涯を送った2人には注目が集まり、源義経と建礼門院が男女の関係を結んだとするスキャンダラスな逸話も生まれました。本浮世絵は、この話を知る人が鑑賞すれば「平家物語」の筋書きにとどまらず、その後の刺激的な展開の想像をもかき立てられる一面もはらんでいます。