- 役者絵
- 役者絵とは
かわなべきょうさい さく「ぼうとかわじりほんじんず」 河鍋暁斎 作「暴徒川尻本陣図」 /ホームメイト

本役者浮世絵の舞台となっているのは、1877年(明治10年)、鹿児島藩士らが中心となって勃発した士族反乱の「西南戦争」にて、肥後国川尻(現在の熊本市南区)に敷かれた「西郷隆盛」(さいごうたかもり)勢力の陣営です。
画面中央で陣営の外に視線を向けている西郷隆盛は、戦場へ出ずに遊女と酒を飲んでいます。本役者浮世絵は西郷隆盛本人ではなく、当時西南戦争を題材とした演目で西郷隆盛に扮し、大当たりした歌舞伎役者、「9代目市川團十郎」(いちかわだんじゅうろう)をモデルにした姿が描かれているのです。
陣営の外で「明治新政府」軍の兵士と対峙しているのは、西南戦争の数ヵ月前に「萩の乱」を企てて斬首刑に処された「前原一誠」(まえばらいっせい)の弟、「前原一格」(まえばらいっかく)。画面上部にある詞書(ことばがき)には、西南戦争における前原一格の活躍が記されています。しかし、前原一誠に一格という名の弟がいた史実はなく、萩の乱では実弟2人も処刑されているため、本役者浮世絵に描かれた前原一格は、想像上の人物であると推測できるのです。
本役者浮世絵を手掛けたのは、江戸時代後期から明治時代前期の浮世絵師「河鍋暁斎」(かわなべきょうさい)。幼少期に「歌川国芳」(うたがわくによし)の門下に入ったあと、「狩野派」の日本画家「前村洞和」(まえむらとうわ)、「狩野洞白」(かのとうはく)らに師事し、卑俗でありながらも高い写実力が窺える画風で一世を風靡しました。
■戦火を免れた西郷隆盛の刀剣
西南戦争の際に西郷家はその戦火に遭い、書籍など多数の貴重品が焼けてしまいました。しかし、刀剣収集が趣味であった西郷隆盛の所持刀はこれを免れて約100振が残り、西南戦争以降も同家に伝わっています。