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うたがわくにさだ さく「かぶきざ しんきょうげん かとうきよまさ いちかわだんじゅうろう」 歌川国貞(三代) 作「歌舞伎座新狂言 加藤清正 市川團十郎」 /ホームメイト

本役者浮世絵は、明治時代に活躍した「9代目・市川團十郎」(成田屋)が、武将「加藤清正」を演じて当たり役と呼ばれた、歌舞伎「増補桃山譚」(ぞうほももやまものがたり)の一場面です。
増補桃山譚は、歌舞伎脚本作者の「河竹黙阿弥」(かわたけもくあみ)が、1869年(明治2年)初演となった「桃山譚」に加筆し、1873年(明治6年)東京村山座で興行された作品。「石田三成」への讒言(ざんげん)で「豊臣秀吉」の怒りを買い謹慎していた加藤清正が、1596年(文禄5年)に起きた「慶長伏見大地震」の際に、豊臣秀吉のいた桃山城(伏見城)に真っ先に駆けつけ、動けずにいた豊臣秀吉をおんぶして脱出させたという迫力ある感動的な物語。通称「地震の加藤」とも呼ばれ、「新歌舞伎十八番」にも選ばれた人気作です。
刀を手に持って構えた姿は、勇敢さを感じさせます。演じた9代目・市川團十郎は、「5代目・尾上菊五郎」、「初代・市川左團次」と共に、「團菊左」と呼ばれる明治歌舞伎の黄金時代を築いた大人気役者でした。
なお、本浮世絵を描いたのは、「歌川豊斎」(うたがわほうさい)です。歌川豊斎は、「歌川豊国(三代)」に入門し、師匠の死後は「2代目・歌川国貞」に学んで「歌川国貞(三代)」を襲名。「梅堂」(ばいどう)、「香蝶楼」(こちょうろう)とも名乗った実力者です。1891年(明治24年)以降は「豊斎」を号し、役者絵や風俗画を得意として、たいへん活躍しました。