- 明治浮世絵
こばやしきよちか さく「かごしまえいゆうでん さいごうこへえ」 小林清親 作「鹿児島英勇伝 西郷小平」 /ホームメイト

本浮世絵は、1877年(明治10年)に浮世絵師「小林清親」(こばやしきよちか)によって描かれた絵図。
「西郷小平(小兵衛)」(さいごうこへえ)は、薩摩藩の武士であり明治維新の立役者のひとり「西郷隆盛」の末弟です。西郷小平は、兄弟の中で最も西郷隆盛の性格と容姿に似ていたと言われており、西郷隆盛と19歳も年が離れていたために西郷隆盛から可愛がられていました。
本浮世絵上部には1877年(明治10年)に起きた「西南戦争」直前の2月6日、「西郷隆盛暗殺計画」を知った私学校本部で行われた大評定の場で、西郷小平が献策したと言う言葉が掲載されています。
「政府軍と戦うならば、政府軍の兵力を分散させるために薩摩軍も分散して戦うべきだ。日本最大の国際貿易を担っている長崎港を制圧すれば武器などの補給を絶てる上に、長崎は海外や国内の電信も行っているため通信手段を遮ることもできる。何より肝要なのは、政府軍の兵力が分散しているいま、政府軍に我ら薩摩軍の動きを悟らせないように静かに行動することだ」
西郷小平は上記のように提案しましたが、採用されることはなく、隠れずに堂々と北上すると言う作戦に決定。作戦会議から21日後の2月27日、西郷小平は「高瀬の戦い」において被弾し31年の生涯を閉じました。
