- 明治浮世絵
ようしゅうちかのぶ さく「しまづふしむちゅうとうこうのず」 楊洲周延 作「嶋津父子夢中東行の図」 /ホームメイト

本明治浮世絵の中央に、江戸時代における老中や位の高い諸大名の衣装であった「直垂」(ひたたれ)を身に纏って立っている武将は、幕末の薩摩藩(現在の鹿児島県及び宮崎県南西部)において、藩政にその手腕を発揮した「島津久光」(しまづひさみつ)。
「島津家」は、代々同藩の藩主の座に就いており、島津久光の異母弟であった11代藩主「島津斉彬」(しまづなりあきら)が亡くなる時に残した命令により島津久光は、12代にして最後となった藩主に自身の長男「島津忠義」(しまづただよし)を就かせています。しかし、主権を握ったのは島津忠義ではなく、実質的には「国父」(指導者として国民から敬愛されている人物)と称されていた島津久光でした。
本明治浮世絵の詞書(ことばがき:絵などに添えられる説明文)によれば、この作品で描かれているのは、明治新政府の勅命を受けて東行した島津父子がその関係者と思われる人物達と面会している場面。島津父子の後ろに付き従っているのは、「西郷隆盛」や「桐野利秋」(きりのとしあき)など薩摩藩士として「西南戦争」に参陣し命を落とした武将達です。
それぞれの名前の下には、「霊」の字の異体字である「㚑」の字が続いているだけでなく、鮮やかな色の直垂を着用している島津父子と対比するかのように、西郷隆盛達の装束には薄い灰色が用いられています。このようなことから、島津父子以外の武将達は、幽霊として描かれていることが窺えるのです。そのため、本明治浮世絵は実際にあったできごとを画題としているのではなく、タイトルにもある通り、島津久光の夢の中を想像して描かれた作品であることが推測できます。
本明治浮世絵の作者である「楊洲周延」(ようしゅうちかのぶ)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師。幕末の動乱期には、江戸幕府の御家人として「上野彰義隊」(うえのしょうぎたい)に加わり、政府軍と争った異色の経歴の持ち主。その作画期は約45年にも及び、大奥風俗などを含む美人画や3枚続きの風俗画などを得意としていました。