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うたがわさだます さく「なにわてんぽうざんふうけい」 歌川貞升 作「浪花天保山風景」 /ホームメイト

現在の大阪府大阪市にある「天保山」とその周辺の賑わいを描いた本名所浮世絵は、1833年(天保4年)頃に描かれた4枚組の錦絵です。
本絵図に描かれた天保山は、1831年(天保2年)から開始された安治川(現在の旧淀川)の浚渫工事(しゅんせつこうじ:川底の土砂を浚って取り去る土木工事)において余った土砂で築かれた人工の山。高さ18mほどある天保山は、大阪港の目印になっていたことから目印山と呼ばれていましたが、のちに築かれた元号から「天保山」と呼ばれるようになったのです。
この浚渫工事は「御救大浚」(おすくいおおざらえ)と呼ばれ、全大阪市民の協力を得て行われました。市民が揃いの衣装を着て土砂運びをするなど、工事自体がお祭り騒ぎのようだったと伝えられています。天保山の周囲には松や桜を植えるなど、憩いの場としても賑わいを見せ、大阪市民の天保山に対する愛着は非常に大きなものがありました。現在、天保山公園(大阪府大阪市)入口左右には、本絵図を下絵としたタイルが展示されています。
作者の「歌川貞升」(うたがわさだます)は、江戸時代に大阪で活動した浮世絵師で、初代「歌川国貞」(うたがわくにさだ)の弟子。大阪船場の財産家の家に生まれ、大阪に歌川派風の「役者絵」や「風景画」、「肉筆画」を広めるなどの功績を残した他、晩年は京都の日本画一派「四条派」の門下に入り、写生画風の花鳥人物画等を描きました。