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うたがわよしふさ さく「みたてじっかんのうち おぐるすのつち たけちみちひで」 歌川芳房 作「見立十干之内 小栗栖の土 武智道秀」 /ホームメイト

1582年(天正10年)、「明智光秀」(あけちみつひで)は、「本能寺の変」で天下統一を目前にしていた「織田信長」を自害に追い込みました。天下人に近づいた光秀でしたが、同年の「山崎の戦い」で「豊臣秀吉」に敗れてしまいます。
その間、わずか11日。これがいわゆる光秀の「3日天下」です。
山崎の戦いで敗れた光秀は、戦場となった「山崎」から拠点の「坂本城」へと落ち延びる途中の「小栗栖」(おぐるす:現在の京都市伏見区の東部)で落武者狩りに遭い、絶命したと言われています。
本武将浮世絵では、光秀をもじった「武智道秀」が、小栗栖において、竹槍で腹部を刺突された様子が描かれています。
作者は、江戸時代末期の浮世絵師である「歌川芳房」(うたがわよしふさ)。光秀の名が実際と異なっているのは、江戸幕府によって、天正年間(1573~1592年)以降の大名家や徳川家を題材にして浮世絵を描くことが禁じられていたためです。
