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うたがわくによし さく「えいゆうやまとじゅうにし うし やまもとかんすけにゅうどうどうき」 歌川国芳 作「英雄大倭十二士 丑 山本勘助入道道鬼」 /ホームメイト

本武将浮世絵で描かれているのは、1553年(天文22年)から約12年にも亘って行なわれた「川中島の戦い」(かわなかじまのたたかい)にて、血だらけの姿となった「山本勘助」(やまもとかんすけ)。
北信濃を巡り、甲斐国(かいのくに:現在の山梨県)の「武田信玄」と、越後国(えちごのくに:現在の新潟県)の「上杉謙信」との間で勃発した同合戦は計5回にも及び、その中でも、武田信玄と上杉謙信が直接対決を行なったとされる1561年(永禄4年)の第4次は、最も多くの死者を出したことから「戦国屈指の大激戦」などと評されています。
武田信玄の軍学書「甲陽軍鑑」(こうようぐんかん)により、武田信玄の軍師として活躍したことが伝えられている山本勘助も、そのときに討死となりました。
武者絵で台頭し、絶大な人気を博した「歌川国芳」(うたがわくによし)ならではの大胆なタッチで血みどろの生首などを描くことで、同合戦がいかに壮絶であったかを表しているのです。
12人の英雄に十二支の動物を割り当てた「英雄大倭十二支」(えいゆうやまとじゅうにし)シリーズの中で、山本勘助に「丑」(うし)があてがわれたのは、彼の出身地が三河国牛窪(みかわのくに・うしくぼ:現在の愛知県豊川市)であったことが由来となっています。
