- 合戦浮世絵
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はせがわさだのぶ さく「やまざきかっせんかんぐんだいしょうりのず」 長谷川貞信(二代) 作「山崎合戦官軍大勝利之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、1582年(天正10年)に起きた「山崎の戦い」に見立てて、1868年(慶応4年)の「鳥羽・伏見の戦い」を描いた作品です。当時、錦絵に時事を描くことが禁止されていたため、このような題名となったのだと考えられます。鳥羽・伏見の戦いは「戊辰戦争」の初戦であり、大阪から京都へ進軍した旧幕府軍が、京都で新政府軍と衝突した戦いです。
本合戦浮世絵の左側には、新政府軍の主戦派である薩摩藩・長州藩・土佐藩の馬印(馬標)に加え、天皇を味方に付けた証「錦の御旗」(にしきのみはた)も掲げられています。右側の旧幕府軍は刀剣で応戦しようとするものの、天皇の旗に攻撃できないと怯んでいました。そこへ新政府軍が最新鋭の武器である鉄砲や大砲を撃ち、旧幕府軍を追い込むことで勝利を掴みます。鳥羽・伏見の戦いでの敗北を知った15代将軍「徳川慶喜」(とくがわよしのぶ)は「大坂城」(現在の大阪府大阪市)から江戸へ退却。攻め込んできた新政府軍に大坂城は開け渡されました。本合戦浮世絵背景では、その混乱による出火で大坂城が炎上している風景を描いています。
作者の2代「長谷川貞信」(はせがわさだのぶ)は、江戸時代末期から昭和時代初期まで大阪で活躍した浮世絵師です。初代・長谷川貞信の実子で1875年(明治8年)に襲名。初代が得意とした役者絵を受け継ぎつつ、大阪や神戸の文明開化を題材とした風景や風俗を描きます。他にも、戦争絵や錦絵新聞、輸出茶の商標や引札、芝居番付など、幅広いジャンルに挑戦しました。