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こばやしきよちか さく「こばやしきよちかもくはんが かんこうさとしのず」 小林清親 作「小林清親木版画 菅公さとしの図」 /ホームメイト

本武将浮世絵の題名にある「菅公」(かんこう)は、「菅原道真」(すがわらのみちざね)の敬称です。菅原道真は、平安時代中期の学者・政治家で、「宇多天皇」(うだてんのう)の信頼が厚く、重職・右大臣を務めましたが、政敵の画策により、太宰府(だざいふ:福岡県太宰府市にあった地方行政機関)へ左遷されたまま、903年(延喜3年)、失意のうちに亡くなりました。
本武将浮世絵の菅原道真は画面中央で、題名に「さとしの図」とあるように、子どもらを諭しているようです。また、菅原道真が牛に乗っている姿は、丑年生まれで牛を慈しみ、晩年には自身の亡骸を「牛の行くところにとどめよ」と遺言したため、遺骸を乗せた車を曳く牛が座り込んで動かなくなった場所に埋葬されたという逸話を思い起こさせます。
画面右上に書き込まれた王仁(わに:4世紀頃に百済から渡来したと伝わる学者)の詠歌「難波津に咲くやこの花冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花」の花は梅のことであり、梅の花をこよなく愛した菅原道真に似つかわしい選歌です。
本武将浮世絵を描いた「小林清親」(こばやしきよちか)は、明治時代に活躍した浮世絵師で、人物画や時事絵を数多く手がけた他に、浮世絵に西洋画の技法を取り入れて、光と影を細やかに表現した「光線画」で人気を博しました。