- 合戦浮世絵
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うたがわよしかず さく「まさきよこうとらがりのず」 歌川芳員 作「正清公虎狩之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、1592年(文禄元年)、及び1597年(慶長2年)に、豊臣政権下で行なわれた「文禄・慶長の役」(ぶんろく・けいちょうのえき)、いわゆる「朝鮮出兵」において、秀吉子飼いの家臣「加藤清正」(かとうきよまさ)が勇猛果敢に虎を狩る様を描いた1枚。清正の虎狩りは、あくまでも伝承であり、どこまでが真実かは定かではありません。しかし、清正の伝記である「清正記」(きよまさき)にも、清正が朝鮮で、自身の槍を用いて仕留めた虎の皮と肉を秀吉に贈り、大変喜ばれたという史実が記されており、浮世絵のモチーフとして人気が高かったことは事実。実際に「歌川国綱」(うたがわくにつな)や、本合戦浮世絵の作者である「歌川芳員」(うたがわよしかず)の師「歌川国芳」(うたがわくによし)など多数の浮世絵師が、清正の虎狩りを題材とした作品を発表しています。
本浮世絵の右手側にて、愛槍の「片鎌十文字槍」を持ち虎に立ち向かっているのが加藤清正。家臣らもおのおの刀や短刀を手に虎と戦う様子が臨場感たっぷりに表現されています。
芳員は国芳同様、武者絵や合戦絵など多岐に亘るジャンルを得意としていましたが、1859年(安政6年)の横浜港(よこはまこう)開港以降は異国の風俗に強い興味を示し、「横浜絵」の先駆者のひとりとして、その多くを手がけました。