うたがわひろしげ さく「はなのあけぼのにしきのぎょうれつ」 歌川広重(二代) 作「花廾曙錦の行烈」 /ホームメイト

花廾曙錦の行烈

本武将浮世絵の題材についての詳細は定かではありませんが、参勤交代、あるいは何らかの大名行列を思わせる光景が描かれています。江戸時代の参勤交代は、大名の石高によって行列を組む人数が規定されており、例えば本武将浮世絵では、弓矢鉄砲を持つ足軽の姿が70人ほど見られることから、大名の行列がモチーフになっていると仮定するのであれば、少なくとも5万石以上の格式を持つ大名であることが窺えるのです。

ところが本武将浮世絵では、従者が持つ「挟箱」(はさみばこ:着替え用の衣服など、道中で必要となる身の回りの品を納めておく箱)などに、通常は入れられるはずの家紋が見当たりません。

家紋は、参勤交代などで大名同士がすれ違う際に、どこの家の大名であるかを瞬時に判断するため、必要不可欠な物でした。それがどこにも描かれていないということは、本武将浮世絵の題材は大名ではなく、当時江戸幕府によって浮世絵のモチーフにすることが禁じられていた「徳川将軍家」であると推測することができます。

徳川将軍による有名な行列と言えば、江戸から朝廷のある京都へと赴く「上洛」(じょうらく)。なかでも、1863年(文久3年)の14代将軍「徳川家茂」(とくがわいえもち)の上洛は、3代・徳川家光(とくがわいえみつ)以来229年ぶり。当時の浮世絵には、最新のニュースを伝える側面もあったため、巷で話題を呼んだ徳川家茂の上洛を題材とした浮世絵が多数出版されていました。本武将浮世絵についても、そのうちの1枚であったと考えることが可能です。

しかし、本武将浮世絵の作者である2代「歌川広重」(うたがわひろしげ)は、天保~弘化年間(1830~1848年)頃に初代の門下へ入り、1857年(安政4年)に本武将浮世絵を制作したと伝えられています。徳川家茂の上洛以前に本武将浮世絵が描かれたことになり、徳川家光や初代・徳川家康(とくがわいえやす)など、別の将軍の上洛を描いている可能性もありますが、徳川家茂の上洛であると見なすのであれば、幕府の検閲を免れるために、制作年を改変したとも考えられる作品です。

花廾曙錦の行烈の浮世絵

※写真はクリックすると、拡大してご覧いただけます。
画面を縦長で利用し、写真をクリックするとより大きな写真がご覧いただけます。
なお、画面の向きをロックしている場合は解除が必要です。

浮世絵の詳細情報

浮世絵師 歌川広重(二代) 浮世絵の題材 大名行列
代表的な
所蔵・伝来
刀剣ワールド財団
〔 東建コーポレーション 〕

海外でも人気のある浮世絵の魅力を皆様にお届けするサイト「刀剣ワールド/浮世絵」。こちらのページは「武者絵(刀剣・合戦・侍・武将)」の「花廾曙錦の行烈」ページです。
武者絵のなかでも、甲冑姿の武将を描いた浮世絵・武者絵。こちらでは「花廾曙錦の行烈」の写真・画像と解説がご覧いただけます。写真・画像は拡大できますので、「花廾曙錦の行烈」の世界を隅々までご堪能ください。
「刀剣ワールド/浮世絵」には、浮世絵の基礎知識をはじめ、浮世絵の歴史や有名な浮世絵師など、浮世絵に関する情報を掲載。東海道五十三次の浮世絵はもちろん、武者絵(合戦・侍・武将・甲冑浮世絵)や役者浮世絵(歌舞伎絵)、皇室・皇族浮世絵、戦争絵といった一般財団法人「刀剣ワールド財団」が所有する浮世絵の写真・画像をご覧いただけるサイトです。この他、浮世絵YouTube動画・映像や浮世絵カレンダーといったコンテンツも充実していますので、ぜひ「刀剣ワールド/浮世絵」で浮世絵の魅力をお楽しみください。

もっと見る▼