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なかざわとしあき さく「よしつねさいこうき」 中澤年章 作「義経再興記」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、明治時代の浮世絵師「中澤年章」(なかざわとしあき)によって描かれた絵図。
浮世絵の名称「義経再興記」は、政治家兼歴史家「末松謙澄」(すえまつけんちょう)によって発表された論文「義経再興記」から来ています。
「義経再興記」は、「源義経」(みなもとのよしつね)とモンゴル帝国初代皇帝「チンギス・カン」が同一人物であると仮説した論文。源義経は「衣川の戦い」では自害せず、北へ逃れてチンギス・カンとして生き延びたのではないかと言う説を最初に唱えたのは、医師であり博物学者の「シーボルト」と言われており、この説が日本に流布した際には社会現象になるほど民間でも流行しました。
なお、チンギス・カンと源義経が同一人物であると言う説以外にも、源義経は生き延びたのちに金朝(きんちょう:中国北半を支配したと言う征服王朝)の将軍になった説や、源義経の子孫が「清」(中国とモンゴルを支配した満州の王朝)を建国したなど、様々な説が派生。
こうした「源義経生存説」は一般庶民のみならず、幕臣「近藤重蔵」や徳川将軍家御庭番「間宮林蔵」の他、儒学者「新井白石」など名のある著名人も信じており、現代でも東北や北海道では、源義経が北へと渡った説が信じられています。