- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわくによし さく「わしのおさぶろういちのたにひよどりごえの
あんないしゃとなるず」
歌川国芳 作「鷲ノ尾三郎一の谷鵯越の
案内者となる図」 /ホームメイト

本武将浮世絵(武者絵)は、「一の谷の戦い」にまつわる「鷲尾三郎」(わしおさぶろう)の逸話を描写した作品です。
「源義経」率いる源氏は、「三草山の戦い」(みくさやまのたたかい)で勝利を収め、一の谷に向かって南下していましたが、鵯越(ひよどりごえ)のあたりで道に迷ってしまいます。暗闇の中で途方にくれていた源氏一行に手を差しのべたのが播磨山中で猟師をしていた鷲尾三郎でした。
彼の案内によって、源氏一行は無事一の谷に到着。夜が明けると、源義経を先頭に「鵯越の逆落とし」と呼ばれる奇襲攻撃を仕掛け、平家に勝利したのです。鷲尾三郎がいなければ、「源平合戦」の結末は変わっていたかもしれません。
この活躍によって、鷲尾三郎は源義経から「義」の一文字を拝名。「鷲尾三郎義久」を名乗る重臣となり、「衣川の戦い」で源義経と共に最期を迎えたと言われているのです。
3枚続きの本武将浮世絵(武者絵)では、真ん中に熊と格闘する鷲尾三郎、その右側の画面で、この様子を心配そうな表情で見守る「武蔵坊弁慶」と源義経を描くことで、一の谷への道のりが険しいことが表現されています。有力武将の配下となって、立身出世を夢見ていた鷲尾三郎にとって、源義経率いる源氏一行を無事に一の谷まで案内することは、夢をかなえる千載一遇の大チャンスでした。
本武将浮世絵(武者絵)に描かれている鷲尾三郎の表情も真剣そのもの。命がけで源氏一行の先導役を務めた鷲尾三郎の心情が表現されていると言えます。錦絵を3枚並べた横に広い画面を十分に活かした構図は、革新的な画法で名を上げたと言われる浮世絵師「歌川国芳」の真骨頂です。