- 合戦浮世絵
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うたがわよしかず さく「ぶんちがんねんくがつじゅうななにち ろくじょうほりかわようちのず」 歌川芳員 作「文治元年九月十七日六條堀河夜討之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の画題となっているのは、京都の六条堀川(ろくじょう・ほりかわ)にある居館にいた「源義経」(みなもとのよしつね)を、その兄の「源頼朝」(みなもとのよりとも)からの命を受けた家臣「土佐坊昌俊」(とさのぼうしょうしゅん/まさとし)が暗殺しようとした事件です。
この事件は、「堀川(河)夜討」(ほりかわようち)と呼ばれ、人形浄瑠璃や歌舞伎の演目である「義経千本桜」(よしつねせんぼんざくら)などにも、同事件の内容が盛り込まれています。また、源義経と土佐坊昌俊の他に、本合戦浮世絵で描かれているのは、平安時代末期の僧兵であり、源義経の郎党(ろうとう:主家と血縁関係のない従者)であった「武蔵坊弁慶」(むさしぼうべんけい)。
武蔵坊弁慶は、実在したかどうかが定かではない人物ですが、この堀河夜討のことが記されている「義経記」(ぎけいき)によれば、「牛若丸」(うしわかまる)と称していた幼少の頃の源義経との出会い以降、1189年(文治5年)の「衣川の戦い」(ころもがわのたたかい)で「藤原泰衡」(ふじわらのやすひら)に討たれるまで、その忠臣として行動を共にしたと伝えられています。
本合戦浮世絵の作者は、江戸時代末期を代表する人気浮世絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)に師事していた「歌川芳員」(うたがわよしかず)。作画初期の頃は、武者絵や合戦絵などのジャンルも手掛けていましたが、やがて異国の生活様式や風俗に強い興味を抱くようになり、「横浜絵」のパイオニアとして活躍しました。