- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわよしとら さく「さんかんせいばつのず」 歌川芳虎 作「三韓征伐之図(偽名絵)」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、14代天皇「神功皇后」(じんぐうこうごう)による「三韓征伐」の伝承を画題のモチーフとした作品です。
「古事記」や「日本書紀」に記載のあるこの伝承では、神功皇后は、古代の朝鮮半島南東部にあった「三韓」のひとつである「新羅」(しらぎ/シルラ)に出兵。その後、新羅を含め、同じく朝鮮半島にあった国家である「百済」(くだら/ペクチェ)、「高句麗」(こうくり/コグリョ)という「三韓」を、日本に服属させたと伝えられています。
しかし、本合戦浮世絵に観られるのは、「加藤清正」の家臣であった「曽根孫六」(そねまごろく)の名前や、加藤清正の家紋に用いられていた「桔梗紋」(ききょうもん)が施された旗印。
つまり、本合戦浮世絵では、加藤清正の主君「豊臣秀吉」が行なった1592年(天正20年/文禄元年)の「文禄の役」(ぶんろくのえき)、そして1597年(慶長2年)の「慶長の役」(けいちょうのえき)、いわゆる「朝鮮出兵」を三韓征伐に仮託して描いたと推測が可能。
これは、本合戦浮世絵を手掛けた「歌川芳虎」(うたがわよしとら)が、浮世絵師としての活動を始めた江戸時代末期には、「織豊時代」(しょくほうじだい)、すなわち「織田信長」と豊臣秀吉が天下を取っていた時代の出来事や人物などを、浮世絵の題材にすることが江戸幕府に禁じられていたことがその理由です。
師の「歌川国芳」(うたがわくによし)の技量を受け継いだ歌川芳虎は、師と同様に武者絵を得意としていました。本合戦浮世絵においても、緻密でありながら迫力のある構図で合戦の模様を表現し、その本領を存分に発揮しています。