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うたがわよしとら さく「だいにほんろくじゅうよしょう あしかがたかうじ」 歌川芳虎 作「大日本六十余将 足利尊氏」 /ホームメイト

本浮世絵に描かれている武将は、室町幕府初代征夷大将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)。太刀を佩刀(はいとう)しています。
右手に持つ采配(さいはい)にあしらわれているのは、二つ引両紋(ふたつひきりょうもん)。足利家の家紋です。
本浮世絵上部の詞書(ことばがき)には、清和天皇(せいわてんのう)の流れを汲む源義家(みなもとのよしいえ)の四男・式部大輔義国(しきぶのたいふよしくに)が下野国(しもつけのくに:現在の栃木県)の足利に住んだことから足利姓を名乗るようになったと記載されています。
1333年(正慶2年)、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の呼びかけに呼応して、畿内で倒幕運動が起こります。鎌倉幕府の命により、その暴動の鎮圧に向かったのが足利尊氏でした。ところが、足利尊氏は鎌倉幕府に叛いて六波羅探題(ろくはらたんだい)を攻略します。
その翌日、鎌倉では新田義貞(にったよしさだ)が挙兵して幕府軍を破り、鎌倉幕府は滅亡。その後、後醍醐天皇による建武の新政が行われますが、貴族中心の政治であったため、足利尊氏は光明天皇(こうみょうてんのう)を擁立し、南北朝時代となったのです。
本武将浮世絵の作者は、幕末から明治時代に活躍した歌川芳虎(うたがわよしとら)。歌川国芳(うたがわくによし)の弟子で、「武者絵」「歴史絵」を得意としました。明治維新後は「開化絵」を多く残しています。
