- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわさだひで さく「たいへいきのうちやまざきかっせんきそうせんぽうず」 歌川貞秀 作「太平記之内山崎合戦競先鋒図」 /ホームメイト

1582年(天正10年)6月2日に起こった「本能寺の変」の一報を受け、「豊臣秀吉」は「備中高松城」の水攻めから大急ぎで京へ戻ります。謀反人の「明智光秀」を討つための「山崎の戦い」を前に、豊臣秀吉軍は尼崎(現在の兵庫県尼崎市)で軍議を開きました。
本合戦浮世絵に描かれているのは、その軍議の場にて、我こそが先陣を務めると言い争う「高山右近」(たかやまうこん)と「池田恒興」(いけだつねおき)の様子です。向かって左側が高山右近。右側の蝶の家紋を付けた武将が池田恒興と言われています。
中央奥で、腕を広げて両者を仲裁しようとしているのは豊臣秀吉です。甲冑(鎧兜)にあしらわれた「五七桐紋」から豊臣秀吉であると推測することができます。
本合戦浮世絵の制作者は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した「歌川貞秀」(うたがわさだひで)です。武者絵や役者絵、美人画など作風は幅広く、特に1859年(安政6年)に開港した横浜の異国風俗を描いた「横浜絵」では第一人者と称されました。