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うたがわよしつや さく「たかまつじょうみずぜめのず」 歌川芳艶 作「高松城水責之図」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、1582年(天正10年)の「備中高松城の水攻め」を描いた1枚です。
「織田信長」の命を受けた「豊臣秀吉」が、毛利氏配下「清水宗治」(しみずむねはる)の守備する高松城(現在の岡山県)を水攻めした戦い。 右下にいる「直柴大領久吉」(豊臣秀吉)の号令に従って、中心にいる「保里尾茂介義晴」(堀尾吉晴)(ほりおよしはる)が先陣を切り、勢い良く水が放たれています。
「堀尾吉晴」とは、通称が「茂助」。織田信長の家臣で豊臣秀吉に属し、浜松城(現在の静岡県)12万石の城主となった人物です。ちょうど、この戦いをしている最中に、「明智光秀」が「本能寺の変」を起こします。これを知った豊臣秀吉は、急遽毛利氏と和睦を結んで、明智光秀を討ちに京へと引き返すのです。この和睦の条件が、高松城主・清水宗治の切腹。堀尾吉晴は、清水宗治の検死役を務めたと言われています。
本武将浮世絵を描いたのは、「歌川芳艶」(うたがわよしつや)。江戸時代後期の浮世絵師で、「歌川国芳」(うたがわくによし)に師事。力強く独特な筆触と鮮やかな色彩が特徴です。