- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわくにつな さく「さとうまさきよぐんばいのず」 歌川国綱 作「佐藤正清軍配之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、「朝鮮出兵」へと出発する一場面が描かれています。朝鮮出兵とは、「豊臣秀吉」指揮のもと、1592年(文禄元年)の「文禄の役」と1597年(慶長2年)の「慶長の役」の2回行なわれた朝鮮半島への侵攻のことです。
長烏帽子形兜(ながえぼしなりかぶと)を被り、意気揚々と船頭に立っている「佐藤主計頭藤原正清」とは、「加藤清正」のこと。加藤清正は、幼少期から小姓として豊臣秀吉に仕えた人物で、朝鮮へは2回とも出兵し活躍しました。
加藤清正は、漢陽(ソウル)を攻略し、李朝の王子2人を捕縛するなど大手柄。しかし、豊臣秀吉の死去に伴い撤退し、帰国後は、文治派「石田三成」と対立します。1600年(慶長5年)の「関ヶ原の戦い」では、東軍「徳川家康」に加勢して、石田三成に完全勝利。肥後国(現在の熊本県)52万石の領主となりました。
本合戦浮世絵を描いたのは、「歌川国綱」(うたがわくにつな)。初代「歌川豊国」の門人で、江戸時代後期に活躍した人物です。この時代は、江戸幕府の禁令によって、徳川家や大名家を描くことが禁止。これにより、登場人物の名前を変える「偽名絵」(にせなえ)が流行しました。