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うたがわよしとら さく「たいへいきやまざきだいがっせんのず」 歌川芳虎 作「太平記屋間埼大合戦之図」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、「歌川芳虎」(うたがわよしとら)が1864年(文久4年)に描いた作品です。
本武将浮世絵の中央に「太平記」とありますが、題材は、「豊臣秀吉」が「明智光秀」(あけちみつひで)を討った「山崎の戦い」。1804年(文化元年)に江戸幕府が、織田信長や豊臣秀吉などの活躍を題材にした浮世絵を禁止したことから、「太閤記」を「太平記」、「山崎」を「屋間埼」、また「明智日向守光秀」を「武智日向守日向守通秀」とするなど、偽名で表現したのです。このような浮世絵を「偽名絵」(にせなえ)と呼びます。
3枚続で描かれたのは、1582年(天正10年)の山崎の戦いにおいて明智軍が敗走する場面。黒馬に乗り、立派な甲冑(鎧兜)を身に着けているのが明智光秀です。追っ手を恨めし気に睨む、満身創痍の明智軍を、生々しく、色鮮やかに表現しています。
作者の歌川芳虎(うたがわよしとら)は、「歌川国芳」に師事。「武者絵」や「歴史絵」を得意としながら、「相撲絵」や「役者絵」、「美人画」なども数多く手掛けた人気浮世絵師です。
江戸幕府が横浜港を開港してからは「横浜絵」(よこはまえ)、明治時代には文明開化を描いた「開化絵」(かいかえ)も高い評価を受けました。