- 武将浮世絵
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うたがわとよのぶ さく「さくらいえきにおいてのうかなんこうおやこけつべつのず」 歌川豊宣 作「櫻井驛於テ農家楠公父子訣別図」 /ホームメイト

本武将浮世絵は、南北朝時代の武将「楠木正成」(くすのきまさしげ)が、嫡男「楠木正行」(くすのきまさつら)に今生の別れを告げた有名な一場面です。中央にいるのが、楠木正成。その前に座して刀剣(後醍醐天皇から下賜された菊水の短刀)を賜っているのが嫡男です。画面右にいるのは、楠木正成の弟「楠木正季」(くすのきまさすえ)。
楠木正成は、「後醍醐天皇」が行なった建武政権の樹立に貢献。しかし、鎌倉幕府を倒すために共に戦ってきた「足利尊氏」は、10万の兵を引き連れて後醍醐天皇に反旗を翻します。楠木正成は後醍醐天皇に対し、足利尊氏との和睦を提案しますが却下。楠木正成は、足利尊氏には勝てないと分かりながらも、1336年(建武3年/延元元年)「湊川の戦い」に出陣する覚悟をします。
しかし、息子だけは生き延びて、父亡きあとも後醍醐天皇に尽くして欲しいと故郷へ戻したのです。楠木正成は、予感通りに敗北。弟・楠木正季は、「七たび人間に生まれ変わっても朝敵を滅ぼす」と言い残し、兄・楠木正成と刺し違えて自害したと伝えられています。
本浮世絵を描いたのは、「歌川豊宣」(うたがわとよのぶ)。祖父は三代「歌川豊国」(うたがわとよくに:襲名前の名は歌川国貞)で、早くから絵師としての才能を開花し、今後の活躍が期待されていましたが、28歳という若さで早世。1884年(明治17年)から1886年(明治19年)と制作期間は短いものの、優れた美人画、武者絵、役者絵などを残しています。