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うたがわくによし さく「ためともゆんぜいのず」 歌川国芳 作「為朝弓勢之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の右側奥で弓を手にしているのは、平安時代後期の武将「源為朝」(みなもとのためとも)。弓の名手として知られ、様々な合戦などでその剛腕ぶりを発揮していました。
しかし、1156年(久寿3年/保元1年)、皇位継承問題を巡って皇室で起こった「保元の乱」(ほうげんのらん)において、源為朝は、父「源為義」(みなもとのためよし)と共に参陣しますが敗北。「伊豆大島」(いずおおしま)に流されてしまいます。
ところが、気性の荒い源為朝は、伊豆大島を領有していた「工藤茂光」(くどうもちみつ/しげみつ)に監視されながらも、略奪や乱暴を繰り返し、伊豆諸島を事実上支配していました。
本合戦浮世絵では、源為朝討伐の院宣(いんぜん:上皇、もしくは法皇の命令により出される文書)を受けた工藤茂光率いる軍勢が乗った軍船に、源為朝が矢を射かけて命中させた様子が描かれています。
この作品を手掛けた「歌川国芳」(うたがわくによし)は、「武者絵の国芳」として、高い評価を受けていた江戸時代末期の浮世絵師。1827年(文政10年)頃に出版された「通俗水滸伝豪傑」と題した揃物(そろいもの:シリーズ化された複数の浮世絵)の作品により、人気が急上昇しました。