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うたがわくにやす さく「うきえよりともこうふじまきがりのず」 歌川国安 作「浮絵頼朝公富士蒔苅之図」 /ホームメイト

本武将浮世絵「浮絵頼朝公富士蒔苅之図」(うきえよりともこうふじまきがりのず)は、1193年(建久4年)5月の晩年に差しかかった「源頼朝」を描いています。源頼朝は多くの御家人(将軍と主従関係を結んだ武士)を集め、富士山の裾野付近で壮大な巻狩(まきがり)を行いました。巻狩とは軍事訓練のための大規模な狩猟のことで、中央手前には、弓を手に馬に乗る源頼朝の姿も確認できます。
この巻狩では、のちに鎌倉幕府2代将軍となる12歳の嫡男「源頼家」(みなもとのよりいえ)が、神の使いとされる鹿を射止めることができました。これは、神によって源頼家が後継者と見なされたことを御家人達に認めさせる効力があるとして、源頼朝はたいそう喜んだと伝えられています。
作者の「歌川国安」(うたがわくにやす)は、初代「歌川豊国」(うたがわとよくに)に師事し、江戸時代後期に活躍した浮世絵師です。歌川豊国の弟子の中でも第一人者と称される才人。本武将浮世絵においても、富士山の威容を際立たせた構図に卓越した発想力が見て取れます。