- 武将浮世絵
- 武者絵とは
あだちぎんこう さく「だいにほんしりゃくずえ ごじゅう
いちのたにのかっせんになおざねあつもりをうつ」
安達吟光 作「大日本史略図会 五十
一谷の合戦に直実敦盛を討つ」 /ホームメイト

本武将浮世絵の舞台は、平安時代の「源平合戦」。描かれているのは、須磨(現在の兵庫県神戸市)における「一ノ谷の戦い」(いちのたにのたたかい)で、熊谷直実(くまがいなおざね)が平敦盛(たいらのあつもり:平清盛の甥)を討つ場面です。
「平家物語」の描写によると、源義経(みなもとのよしつね)の奇襲戦「鵯越の逆落とし」(ひよどりごえのさかおとし)により平氏が劣勢となるのを見て、平敦盛は海上の船に逃げようと馬を海に進めていました。
これを見掛けた熊谷直実は、平敦盛の豪華な鎧や太刀などから大将軍と察し、「見苦しくも、敵に背を向けるのですか。お戻り下さい。」と呼び掛けます。引き返した平敦盛を、熊谷直実はむんずと掴んで組み伏せますが、首を取ろうと兜を押し上げた所、17歳ほどの美しい若者で自分の息子と同じ年頃なので、刀を立てることに躊躇します。そのうちに源氏軍が近づいてきたので、やむを得ず泣きながら平敦盛の首を斬りました。鎧直垂(よろいひたたれ)で首を包もうとすると、腰に差してある笛が目に留まります。
平敦盛は笛の名人で、祖父平忠盛が鳥羽院から拝領した笛を譲り受けていたのでした。熊谷直実は明け方に聞こえた優雅な音楽がこの笛から発せられていたことを知り、世の無常を感じて、 のちに出家し浄土宗の開祖「法然」(ほうねん)の門弟となります。
この悲劇は能や幸若舞(こうじゃくまい:中世に流行した舞の一種)の題材とされ、出家した熊谷直実が世をはかなむ歌詞「人間五十年 下天のうちを比べれば 夢幻の如くなり」で有名です。戦国武将織田信長(おだのぶなが)もこれを好み、「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)前夜に舞ったと伝わります。
本武将浮世絵の作者は、明治時代に活躍した安達吟光(あだちぎんこう)。別号は「銀光」もしくは「松雪斎」。安達吟光の役者絵は豊原国周(とよはらくにちか)の影響が指摘されていますが、師弟関係や流派は不明です。主に時局絵(じきょくえ:浮世絵の様式のひとつで、当世の時事を題材とする。)を描いています。