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あだちぎんこう さく「だいにほんしりゃくずえ はちじゅう
おけはざまのかっせんにいまがわよしもとうちじにす」
安達吟光 作「大日本史略図会 八十
桶狭間の合戦に今川義元討死す」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の舞台は、「桶狭間の戦い」(おけはざまのたたかい)。描かれているのは、激しい雨が降りしきる中、織田信長(おだのぶなが)の奇襲作戦により、家臣の毛利良勝(もうりよしかつ)が今川義元(いまがわよしもと)を討つ瞬間です。
この合戦以前、尾張国(おわりのくに:現在の愛知県西部)では、織田信長の父である織田信秀が病死すると、織田信長と弟・織田信行(おだのぶゆき)による後継争いが生じました。
当時、駿河国(するがのくに:現在の静岡県東部)、遠江国(とおとうみのくに:現在の静岡県西部)、三河国(みかわのくに:現在の愛知県東部)を支配していた今川義元は、この混乱に乗じて、鳴海城(なるみじょう:現在の名古屋市緑区鳴海町に存在した城)や沓掛城(みなかけじょう;現在の豊明市沓掛町に存在した城)など尾張国の一部を掌握します。
永禄3年(1560年)5月19日、さらなる勢力拡大を狙って、今川義元は25,000の兵を率いて尾張国へ攻め込みました。迎え撃つ27歳の織田信長の兵はわずか4,000ばかり。もはや勝ち目がない戦とされていました。
ところが織田信長は、その日の昼過ぎ、雹(ひょう)混じりの雨を味方に敵の監視を掻い潜り、桶狭間の今川義元本陣へ奇襲します。豪雨の中、突然の攻撃に今川義元の本陣は大混乱。その隙を見て、毛利良勝は今川義元へ向かって突進し総大将の首を斬りました。
本合戦浮世絵の作者は、明治時代に活躍した安達吟光(あだちぎんこう)。別号は「銀光」もしくは「松雪斎」。安達吟光の役者絵は豊原国周(とよはらくにちか)の影響が指摘されていますが、師弟関係や流派は不明です。
「大日本史略図会」(だいにほんしりゃくずえ)は、南柯亭夢覚(なんかていむかく:高橋柯亭とも)が詞書(ことばがき)を担当し、大倉孫兵衛(おおくらまごべえ)が出版したシリーズ絵。大倉孫兵衛は製陶業界の経営者として有名ですが、幕末から明治初期にかけては版元として活躍しています。