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ようしゅうちかのぶ さく「そがきょうだいようちのず」 楊洲周延 作「曽我兄弟夜討ノ図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、「曽我十郎祐成」(そがじゅうろうすけなり)・「曽我五郎時致」(そがごろうときむね)兄弟の仇討ちを題材としています。
1176年(安元2年)、曽我兄弟の父・河津祐泰は一族の所領争いによって「工藤祐経」(くどうすけつね)の家来に殺されてしまいました。その後、1193年(建久4年)5月に富士の裾野で開催された大規模な巻狩(まきがり:軍事訓練のために行う狩猟)において、曽我兄弟は工藤祐経の宿所を襲い、殺害。父の仇を討ちました。この事件は、のちに歌舞伎や能の題材として取り上げられ、多くの浮世絵の画題にもなっています。
本合戦浮世絵は、曽我兄弟が父の仇・工藤祐経の宿所に、夜襲を仕掛ける場面が描かれました。画面中央と右奥にいる青色の着物を着ている人物が曽我兄弟と考えられ、日本刀を手に、鋭い眼差しで敵を睨み付けているのが印象的です。父の仇を討つという、強い意志が感じられます。
作者の「楊洲周延」(ようしゅうちかのぶ)は幕末から明治時代にかけて活躍した浮世絵師です。「歌川国芳」(うたがわくによし)、「歌川国貞」(うたがわくにさだ)、「豊原国周」(とよはらくにちか)に師事しました。戦争絵や美人画などを手がけています。
■コラム 鎌倉時代初期の刀剣
曽我兄弟の仇討ちが行われた鎌倉時代初期には、反りがついた鎬造り(しのぎづくり)の太刀が作られました。