- 合戦浮世絵
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うたがわよしとら さく「しずがみねだいかっせんのず」 歌川芳虎 作「賤ヶ峯大合戦之図」 /ホームメイト

本合戦浮世絵の舞台は、賤ヶ岳の戦い(しずがたけのたたかい)。1583年(天正11年)4月、近江国(おうみのくに:現在の滋賀県)賤ヶ岳で羽柴秀吉(はしばひでよし)が柴田勝家(しばたかついえ)に勝利した合戦です。
合戦の約1年前、1582年(天正10年)6月、本能寺の変(ほんのうじのへん)により織田信長(おだのぶなが)が自害しました。その後、明智光秀(あけちみつひで)を討ち取った羽柴秀吉と、織田家筆頭家老の柴田勝家の間で、織田信長の後継問題で対立が起こります。羽柴秀吉は織田信長の次男織田信雄(おだのぶかつ)を、柴田勝家は織田信長の三男織田信孝(おだのぶたか)を擁立して戦ったのでした。
本合戦浮世絵の中央前方、黒馬に乗って刀を振りかざす武将は、柴田勝家の甥である佐久間盛政(さくまもりまさ)。御器所(ごきそ:現在の名古屋市昭和区)で生まれた武将で、その勇猛さから「鬼玄蕃」(おにげんば)と呼ばれていました。
本合戦浮世絵の作者は、幕末から明治の開化期にかけて活躍した歌川芳虎(うたがわよしとら)。歌川国芳(うたがわくによし)の門人で、号は「一猛斎」「錦朝楼」など。武者絵や大首絵(おおくびえ)を得意としていましたが、黒船来航後は「横浜絵」「開化絵」を多く描きました。