- 合戦浮世絵
- 合戦絵とは
うたがわさだひで さく「げんぺいやしまだんのうらながとののくにあかまがせき
かっせんのず」
歌川貞秀 作「源平八島檀之浦長門國赤間関
合戦之圖」 /ホームメイト

本合戦浮世絵は、「源平合戦」の戦「壇ノ浦の戦い」を鳥瞰図(ちょうかんず:上空斜めから見下ろした形式の絵図など)で描き、海辺に船配置を置くなどして臨場感ある作品に仕上げています。なお、題名の「長門国赤間関」は、現在の山口県下関市の旧名称です。
この戦いで平氏軍は、「源義経」(みなもとよしつね)率いる源氏軍に敗北します。平氏方に付いていた幼い「安徳天皇」(あんとくてんのう)は、祖母「二位尼」(にいのあま)と共に入水。そして、平氏軍の大将であった「平宗盛」(たいらのむねもり)も捕えられ、栄華を誇った平氏は滅亡します。これにより、5年もの歳月をかけた源氏と平氏の争いは終焉を迎えました。
本合戦浮世絵を描いた「五雲亭貞秀」(ごうんていさだひで)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活動し、「歌川貞秀」(うたがわさだひで)とも名乗った浮世絵師です。
この五雲亭貞秀は、横浜絵の第一人者とも言われますが、本合戦浮世絵のような精緻な鳥瞰図の一覧図や合巻図を描いたことでも有名。
また、1867年(慶応3年)に開催された「パリ万国博覧会」では、江戸幕府の浮世絵総代絵師として作品10点を出品し、高い評価を受けました。