- 武将浮世絵
- 武者絵とは
うたがわくによし さく「しんしゅうかわなかじまひゃくゆうしょうせんのうち じゅうろくさいういじん さなだきへいまさゆき」 歌川国芳 作「信州川中嶌百勇将戦之内 拾六才初陣 真田喜兵衛昌幸/一勇斎国芳」 /ホームメイト

本武将浮世絵に描かれた「真田昌幸」(さなだまさゆき)は、武田軍の足軽大将として1561年(永禄4年)の「第4次川中島の戦い」に参戦、初陣を飾ったと言われています。このとき真田昌幸は、元服したばかりの16歳でした。
真田昌幸と言えば、「真田信之」(さなだのぶゆき)や「真田信繁」(さなだのぶしげ:[真田幸村]のこと)の父としても知られる戦国時代きっての智将です。その優れた軍略家ぶりから、「豊臣秀吉」には「表裏比興の者」(ひょうりひきょうもの:態度と内心が一致しないくわせ者)と評され、「徳川家康」からは「稀代の横着者」(ずる賢く計算高い)と異名が付けられるほどでした。
本武将浮世絵は、「川中島の戦い」に参戦したとされる武将を描いたシリーズ「信州川中嶌百勇将戦之内」(しんしゅうかわなかじまひゃくゆうしょうせんのうち)の1作です。武将浮世絵としては異例の「大首絵」(おおくびえ:上半身や顔を大きく描写した絵)で、初々しい若武者姿の真田昌幸が描かれています。
本武将浮世絵の制作者は、江戸時代末期の浮世絵師「歌川国芳」(うたがわくによし)。誰もまねのできない発想と画力で江戸の人々を魅了しました。本シリーズの作者名である「一勇斎国芳」(いちゆうさいくによし)とは、歌川国芳が1818~1860年(文政元年~万延元年)の間に用いていた画号です。
