- 行列浮世絵
ようしゅうちかのぶ さく「まつのさかえ おおくぼひこざえもん たらいとじょうのず」 楊洲周延 作「松乃栄 大久保彦左衛門 盥登城之図」 /ホームメイト

本行列浮世絵は、江戸時代初期に徳川家に仕えた旗本「大久保忠教」(おおくぼただたか:通称[大久保彦左衛門])の有名な逸話「盥の登城」(たらいのとじょう)を描いた作品です。大久保忠教は、豊かな経験と知識を持ち、誰にでも遠慮なく意見を述べたことから「天下のご意見番」としても名高い人物だったと伝わります。
場面は1633年(寛永10年)の正月のこと。3代将軍「徳川家光」(とくがわいえみつ)へ新年の挨拶に向かうため、江戸城の門前は大名達の駕籠(かご)でごった返していました。激しい混み合いで、外様大名と旗本の乗った駕籠がぶつかり大喧嘩となってしまいます。外様大名と旗本はもともと仲が悪いことから、これ以上事故が起きないようにと老中「松平信綱」(まつだいらのぶつな)より、旗本は駕籠での登城を禁止されてしまいました。
旗本だけに厳しすぎる処分に大久保忠教は思案し、「駕籠は禁止されているが大盥[おおだらい]は禁止されていない」として、大盥に乗って登城することに決めます。そうすると他の旗本達も大久保忠教にならって大盥で登城するようになり、ついに大盥での登城が許可されるようになった、という話で締めくくられるのです。
作者の「楊洲周延」(ようしゅうちかのぶ)は、江戸時代後期から明治時代にかけて活躍した浮世絵師。15歳で「歌川国芳」(うたがわくによし)の門人となり、美人画や開化絵などで人気を博しました。
■武士の大小二本差し
江戸時代になると、武士は打刀と脇差の大小二本差しの帯刀が義務化されます。庶民や商人も護身用に脇差などの帯刀を許可されていましたが、大小二本差しは武士のみに許された様式。そのため大小二本差しをできることは武士の誇りでもありました。